2022年1月2日日曜日

パン

 パン。これは私たちの日用の糧であり、日々の生活を支える命です。人は食うためには働かずにはいられません。職を持つのもまたこれを得るためです。アダム以降、人類は土地を耕し労苦して糧を、パンを得るようになりました。

 しかしながら、マタイの福音書4節では、イエスさまはこんなふうに語っておられます。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」(4節)

 これはどういうことなのでしょうか。パン(衣食住といっても良いでしょうか)の追求だけで人生は決まるものではないとイエスさまは語っておられるのです。生きることは、パンを得ることに留まるものではなく、折節の神のことばのうちにあるのです。

 私は、大学時代にボーンアゲインしたクリスチャンです。とても恵まれた環境に置かれ、学業は祝福されており、学者になろうとしていました。しかし、一応祈ってみようとしたところ、思いがけずはっきりとした神さまの答えを頂いたのです。

パン

 聖書のヨハネの福音書6章がそれです。ここは、5千人の給食として有名な箇所で、イエスさまは5つのパンと2匹の魚で5千人の群衆を養いました。それで群衆のある者たちはイエスを探して湖の向こう岸まで追いかけて来たのですが、イエスさまは彼らにこういいました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからでなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです」(2627節)

 人生は、空腹を満たすためばかりに費やされるものではないのです。よりよい生活を追求することでもありません。人生は神とそのみこころを行うことにあるのです。こうして私は、永遠のいのちに至る食物のために生きることを知り、このことばをもって献身しました。

 人生には意味と目的があります。あなたでしかできない働きがあります。そして神の御守りがあなたとともにあります。もし、あなたが応答するなら、神はあなたもまた、永遠のいのちに至る食物のために用いてくださいます。それは何と素晴らしいものでしょうか。

 人生の意味なんてあるのかと、うそぶく人生は虚しく、自分のいのちを捨てていることに気付きません。しかし、今日決心するなら、今日あなたは、神の子神のしもべとして、新しく生まれるのです。イエスキリストをあなたの救い主として心にお迎えください。永遠のいのち、それは時空を超えた神の救いであり、今や神の愛はあなたを取り囲んでいます。

MIKOE NEWSから転載」 2022年1月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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