2013年9月26日木曜日


ガリラヤ湖
 イスラエルのガリラヤで、私たちは毎年1年のはじまりを迎えます。私たちの
泊まるホテルは、ガリラヤ湖の波打ち際に面していて、目を上げるとそ こに
は、かつて2000年前にイエスさまが歩いたという湖が広がっています。
 マタイの福音書14章をみると、イエスさまが、ゲネサレとも呼ばれるこの湖の
上を歩いて渡られている時、それを見たペテロはこう言いました。 「主よ。も
しあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってくだ
さい」
 イエスさまは「来なさい」と言ってくださいました。そこでペテロは舟から出
て、水の上を歩いてイエスの方に行きました。何とペテロも水の上を歩 くこと
ができたのです。
 ところが次の瞬間、ペテロは風を見、恐くなり、沈みかけました。イエスさま
は、すぐに手を伸ばして助けてくださりましたが、信仰の薄い人だな。 なぜ疑
うのか、とおっしゃいました。
 恐れが来た時、ペテロは溺れ始めました。イエスさまと、そのお言葉だけを見
ていた時、ペテロは、湖の上を歩きました。しかし、現実を見るとたち まちそ
の信仰が失速してしまったのです。信仰生活の中でよくあることです。
 恐れは現実を見させ、信仰の火を消してしまいます。ですから、私たちが何を
見ているのか、ということは非常に重要なのです。状況を見るなら恐れ が来る
でしょう。しかしイエスさまのことばに信頼しているなら、人は水の上さえ歩け
るのです。これが信仰です。
 神さまにおできにならないことは一つもありません。信仰は世や恐れに勝利し
ています。それゆえ、私たちもまたペテロのように、イエスさまに言葉 を求
め、そのことばに従っていきましょう。       (イスラエル北野)

 
み声新聞2013年9月29日号(第747号)より転載—

2013年9月20日金曜日


大逆転
 ローマ人への手紙8章28節に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従っ
て召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてく ださるこ
とを、私たちは知っています」と書かれています。
 これは非常に力ある言葉です。確かに神はすべての問題をことごとく益にし、
逆転勝利を表してくださいます。
 例えば、イエスさまがお亡くなりになった時、サタンは救い主を殺したと得意
満面であったでしょう。しかし、神はそれを最大限の益へと変えられま した。
イエスさまは死から復活を遂げられました。そしてその死と復活によって、人類
に完全な救いの道を開き、圧倒的な勝利を実現させられました。
 私ごとになりますが、先々月に引っ越しをしました。半年前の私はこんなこと
が起ころうとは夢にも思いませんでした。事の始まりは、大家さんが 「賃貸業
を辞めますので、そこを退出してもらうことになります。」と言われたところか
ら始まりました。降って湧いたような話に私たちは恐れまし た。しかし、この
後ろに神さまの遠大な計画がかくされていたのです。
 その日の夜、聖書から「あなたがたは、この山に長くとどまっていた。向きを
変えて、出発せよ」と語られ、この引っ越しは神から出ていることだと 知らさ
れました。ここに立った時奇跡が起こり、引っ越しに関わるあらゆる問題に解決
を見、なんと私たちは、今までとそう変わらない家賃で、一階を 教会堂とする
二世帯住宅に移り住むようになりました。大逆転が起こったのです。
 サタンは呪いを置きますが、神はそれをことごとく祝福へ変えてくださいま
す。それゆえ、私たちは恐れる必要はありません。あなたも神を信じ神の 解決
を頂きましょう。 (イスラエル北野)

 
み声新聞2013年9月22日号(第746号)より転載—

2013年9月12日木曜日


無名の人

 先週、東京から上司にあたる牧師ご夫妻が北海道に来られました。新年度に出
る、新しい賛美曲の選定をされ、私たちは約一週間ずっと車で賛美の曲 を聴き
続けました。これは私にとってこの上ない祝福でした。賛美の霊の力が、今まで
のどの時より強く注がれているのに驚きました。その中で、私は 賛美によって
素晴らしい体験をしました。
 さながらそれは黙示録4章のようでした。10節にはこう記されています。「二
十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生き ておられ
る方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出し」主を拝したというものです。
 冠は、働きに対して主が授けてくださった特別なもので、天において最も価値
がある尊いものです。それを24人の長老たちは、それを下さった神に 投げ出し
たというのです。栄光の全てを、主にお帰しておられるのです。
 私もまた、賛美の臨在のうちに心が溶かされていきました。賛美が霊に触れ、
賛美を口ずさみ、賛美を歌う喜びが私の心を支配すると、自分は何と幸 せなの
だろうとつくづく思いました。もう、何もいりません、ただあなたがあがめられ
ますように、これが本心でした。人々の中では無名であっても、 神には知られ
ている、その喜びを知らされ、どうかあなたをたたえる者の一人に加えてくださ
い、とそんな祈りをしていました。それは私にとって、本 当に幸せなひと時で
した。
 ダビデは、詩篇でこう語っています。「私は一つのことを主に願った。私はそ
れを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗 しさを
仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために」私の心もまた、この歌そのもの
です。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年9月15日号(第745号)より転載—

2013年9月3日火曜日


獄中の賛美
 私たちを愛する神さまの愛は、誰であろうとそれを取り去ることができませ
ん。イエスさまは昇天される時に、「見よ。わたしは、世の終わりまで、 いつ
も、あなたがたとともにいます」と語ってくださいました。どんな時でもどんな
状況にあっても、イエスさまは常に共にいてくださいます。たとえ それが獄中
であったとしても。
 というのも、使徒の働き16章に、獄中にあったパウロとシラスの記述があるの
です。2人は宣教途中に冤罪で、獄屋に入れられました。足かせをは められ、
一番悪い囚人が使う奥の牢に入れられていました。
 しかし、彼らは、あたかも自由の人と同じように生きていました。真夜中にい
つものように神さまに祈り、賛美の歌を歌い始めました。他の囚人たち もそれ
に聞き入っていました。
 するとどうでしょう。突然大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちま
ち扉が全部あいて、皆の鎖が解けてしまいました。これが賛美の力で す。神さ
まは賛美のうちに住まわれるので、獄舎もまた天の臨在に覆われました。神が与
える安らぎがあり、喜びが支配したのです。
 以前よくこんな歌を歌いました。「主イエスを喜ぶことはあなたの力です」と
いうものです。本当にその通りです。パウロもシラスもこの世のもので はない
主イエスさまの喜びを体験していたのです。それは困難に打ち勝ち状況を一転さ
せてしまう力です。喜びは場所を選びません。常に神さまとの交 わりに中にい
ることそれが賛美の祝福なのです。
 あなたもイエスさまを信じ、神の下さる喜びを頂いてください。確かにイエス
を喜ぶことは患難を打ち破る力となるからです。  (イスラエル北 野)

 み声新聞2013年9月8日号(第744号)より転載—