2015年2月28日土曜日

 かつて、クラーク博士は札幌農学校で「ボーイズ・ビー・アンビシャス、イン・クライスト」すなわち「青年よ。キリストにあって大志を抱け」と語られました。大志あるいは幻は、より高くあってほしいと私は思います。そして、人生これからという若い人々にこそ、大志を持つよう語りたいのです。なぜなら大志はあなたをその幻にふさわしく育て上げるからです。
 以前にもお話ししたかも知れませんが、毎年甲子園球場で、高校野球の全国大会が催されます。これに関してある人が興味深いことを語りました。それは、甲子園に出場することを幻として鍛え上げてきたチームと、甲子園で優勝することを幻に鍛えたチームではやはり違うとい うのです。練習内容もさることながら、あらゆる面で優勝したチームは、出場することを幻にしたチームよりより厳しい訓練を耐え抜いてきていると言います。
 これが幻の力です。より大きな幻は、結ぶ実も多いのです。人が幻を握るなら人生は大きく変わっていきます。幻の実現に向けて、私たちは努力を惜しまなくなります。忍耐し、自制心を持ち、節制を働かせ、しかしその末には幻の成就を見るのです。
 箴言2918節には「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」と書かれています。幻の無い人生は虚しいものです。
 こういうわけで、キリストにあって大志を頂いてほしいのです。ご自分を律して神に聞き従われることによって、 幻は皆さん方を幻にふさわしく成長させてくれます。それ故、どうか今、キリスト・イエスにあって、神の幻を自分の計画とし、信仰を奮い立たせましょう。そうすることによって、神さまによって豊かな実を結ぶようになるのです。 (イスラエル北野)


み声新聞2015年3月1日号(第821号)より転載—

2015年2月21日土曜日

水上歩行
マタイの福音書のお話です。イエスさまは、男5000人の給食の奇跡をなされ
た後、弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、向こう岸に向かわせました。
 夜中の3時頃、イエスさまが湖の上を歩いて、弟子たちの所に行かれると、彼
らは「幽霊だ」と言い、恐ろしさのあまり叫び声をあげました。
 「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と話しかけると、ペテロ
が言いました。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いて ここま
で来い、とお命じになってください」
 イエスさまは、「来なさい」と言いました。そこでペテロは舟から出て、水の
上を歩いてイエスさまの方に行きました。ところが、風を見て、怖くな り、沈
みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言いました。イエスさまは
すぐに手を伸ばして、助けてくださいました。
 この話は有名です。来なさいというイエスさまの「ことば」を見つめている限
りは、ペテロも水上を歩きました。しかし、「ことば」にではなく、波 や風な
どの現実に目が向くと沈んでいったのです。
 私が献身に踏み出すきっかけになったのもまた「ことば」によりました。父か
ら勘当を言い渡され、何の経済的基盤もありませんでしたが、「こと ば」を与
えてくださった神さまに信頼しました。もし失敗しても、その時にはイエスさま
がペテロにしたように、直ちに助けてくださる、恵みによって こう信じること
ができたのです。事実、結婚までの間主に支え続けられました。
 奇跡は、神の「ことば」を土台にして起こります。神さまの「ことば」を信
じ、信仰の踏み出しをなす時、神のご栄光を見ます。神の「ことば」は、 現実
よりも確かです。(イスラエル北野)

み声新聞2015年2月22日号(第820号)より転載—

2015年2月11日水曜日

喪中の家
 ソロモン作とされる伝道者の書に次のような記述があります。
 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人
の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるから だ」(7章
2節)
 すべての人の終わり、それは死です。これを変えることはできません。にもか
かわらず、人は、日常生活の中に紛れてそのことを忘れています。生き ている
うちにしておかなければならないことがあるのに、そのことさえ忘れてしまうの
です。こういう訳でソロモンは、喪中の家に行くことを勧めるの です。
 私は、社会で高い地位を得、世にあって成功した多くの先輩方を知っていま
す。しかし、その方々も死の前には無力でした。時は待ってくれません。 最期
には力もうせ、泣いて涙のうちに旅立って行かれました。
 生きている内に必ずしておかなければならない事、それは死に対する備えで
す。そしてそれは、イエス・キリストを信じる、救われることです。
 44歳の時、私は今まさに死にゆくという体験をしました。その時、長年悩んで
きた人と人との軋轢などは、取るに足らない小さな問題でした。自分 は神にお
会いする用意があるかどうかが、最大の関心事でした。私はまだ何もしていな
い、まだ死ねない…、その叫びが通じたのか私は現実に戻されま した。
 私たちは、はかない存在です。神さまはそのことをご存じです。ですからイエ
スさまを下さいました。イエスさまは、あなたの代わりに十字架で死な れ3日
目によみがえられました。イエスさまは私たちに永遠の命をくださいます。イエ
スさまは私たちの主です。主イエスとともに生きましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年2月15日号(第819号)より転載—

2015年2月7日土曜日

反キリスト
 1991年、夫と長女と3人でイスラエルに行きました。終末に関わる示しな
どを求めたのですが、旅の最後にホロコースト記念館「ヤド・バシェ ム」に導
かれました。終末には何が起こるのですかと主に求めたところ、そこで見たのは
ヒトラーの肖像画でした。ヒトラーは反キリストのひな型であ り、反キリスト
は必ず今の世に立ってくること、またその時代における神の働きを担うには今か
ら準備が必要だということを語られました。
 それから23年がたち、今に至っていますが、日本は発展しているはずなのに、
当時と比べて随分生活が苦しくなりました。昭和の時代、一家の主が 働くな
ら、何とか家族を養えました。しかし今は、家族総出で働いても、なおかつ生活
苦ということも珍しくありません。
 時代は、刻一刻と終末を示すようになりました。民族は民族に敵対し、方々で
地震や災害が起きています。しかし聖書では、これらは産みの苦しみの 始まり
であり、終わりが来たと言ってすぐに動揺してはならない、まず背教が起こり、
不法の人の出現なくして終わりは来ない、と書かれています。そ して、この不
法の人こそ反キリストなのです。彼は中東和平を締結し、すべて神と呼ばれるも
のの上に自分を高く上げ、自分こそ神だと宣言します。
 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止めるものがあって、反キ
リストの出現を引き止めています。しかし、その時になると、不法の人 は現れ
ます。主はみ口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれま
す。私たちは、世の終わりに向かう、特別な時代に生きていま す。イエスさ
まを信じ、それぞれの救いの達成に努めましょう。        (イスラエ
ル北野)

み声新聞2015年2月8日号(第818号)より転載—