2020年4月29日水曜日



 新約聖書のヨハネの手紙は、イエスが愛された弟子、ヨハネの手によるもので、その主題は愛です。
 愛とは何でしょう。

 ヨハネの手紙第一には、このように書かれています。
 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(4章10節)

 なだめの供え物としての御子、というのは何のことを言っているのでしょうか。

 御子とは、イエス・キリストです。
 イエスは神のひとり子で、神のみこころに従って、全ての人を救うため、時至って世に来られました。

 生まれながらの罪人で、罪過(ざいか)の中に死んでいた私たち、人を愛しあわれみ、私たちの罪を負い、十字架で死なれることによって、贖(あがな)いを成し遂げてくださいました。

 このイエスによって、私たちは永遠のいのちを受けました。ここに神のご愛が明らかにされたのです。
 無条件の愛。これが神の愛です。

 ローマ人への手紙8章32節に
 「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」
と書かれています。

 御子をさえ惜しまれなかった神は、今や全てのものを、あなたに下さると知ってください。

 神はありのままのあなたを愛しておられます。
 理由があって愛されるというのはある意味当然です。
 しかし、神の愛はそれに見合うような条件も区別もありません。
 受ける価値のない私たちに、ただ一方的な恵みによって、愛は私たちの上に広く注がれています。

 また、あえて言うなら、神さまのご愛に最も近い愛は、親が子に持つ愛だと思います。
 これもまた掛け値なしに無条件で愛する愛で、私自身、親となってみると、子のためなら自らを犠牲にすることをいとわない心が与えられていて、驚きました。

 イエスさまもまた十字架で死なれることを恐れませんでした。
 それは私たちを愛しておられたからです。

 イエスは私たちの身代わりとなって死に、また3日目によみがえられました。
 これほどまで、神はあなたを愛しておられるのです。

 愛は死よりも強く、イエスさまが十字架で死なれたのは、あなたを愛し、神の子とするために、死をもってあなたを縛っている悪魔からあなたを取り戻すためでした。

 それ故、今日この時にあなたもイエスさまを信じましょう。イエス・キリストを救い主として心にお迎えしようではありませんか。

(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年4月29日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2020年4月22日水曜日

幸いはお金にあらず

 人を幸せにするのは何でしょう。愛でしょうかお金でしょうか。
 ある雑誌で、デヴィ夫人に、お金はないけれど愛がある人と、愛はともかくも経済において不自由させない人と、結婚相手としてはどちらを選ぶと良いのでしょう、と質問した人がいました。
 デヴィ夫人の答えは、お金のある人でした。 お金に不自由させないことは1つの愛情で、それを与えてくれた人には、後に尊敬が生まれるものだから、夫婦関係はうまくいくというのです。
 私はこれを否定するものではありません。 伝道者の書には「金銭はすべての必要に応じる」と書かれています(10章19節)。
 確かに世にあってお金は万能で、向かうところ敵なしでしょう。 それを知っているので、多くの人がお金を持つために労苦しています。 お金さえあれば安全だ、幸いだと。
 しかし本当にそれでよいのでしょうか。短絡的ではありませんか。そこに見落としてきたものはないでしょうか。
 マルコの福音書8章でイエスさまは、次のように語られました。 「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(26、27節)
 何よりも大切なものは「いのち」であるとイエスさまはおっしゃいました。たとい、私たちが全世界を得、全ての物を持っていたとしても、「いのち」がなければ何を得たといえるのでしょう。それを味わうことも触れることもできません。
 また、私たちが死んでしまったら蓄えたものは誰のものになるのでしょう。 こういう訳で人は帰り来ぬ風であって、実にはかない存在です。
 こんな私たちですが、神さまに深く愛されています。神は私たちにイエスさまを下さいました。イエスさまはわたしたちを十字架の死をもって贖(あがな)ってくださいました。
 ここに愛があります。
 神は愛です。 神の愛に勝る愛はありません。
 その愛は尊く、決してお金で買えるようなものではありません。ただ主イエスを信じることによって、無条件で与えられます。あなたもまた、神の元へ帰りましょう。
(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年4月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2020年4月15日水曜日

「備え」

 備えあれば憂い無し。これは昔から語られている日本の格言です。本当にその通りで、何事も備えが重要です。備えがあれば多少の事は対応できます。個人的な見解ですが、日本人は備えておくといったことにはたけている国民だと思います。
 マタイの福音書25章に、再臨の主を出迎える、10人の娘のたとえが書かれています。5人は賢く5人は愚かでした。両者とも、ともしびは持っていました。その上で賢い娘たちは、ともしびとともに入れ物に油を入れて持っていました。愚かな娘たちは、ともしびは持っていましたが、油を用意していませんでした。
 そこに、突然花婿がやってきました。娘たちは皆一斉にともしびを整えました。ところが愚かな娘のともしびは油がないため今にも消えそうになりました。賢い娘たちから油を分けてもらいたかったのですが、到底足りないので店に行ってお買いなさいと勧められ、買いに行くと、その間に花婿が到着しました。備えのできていた娘たちは花婿といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸が閉められました。
 その後、愚かな娘たちが帰ってきました。ご主人さま戸を開けてくださいと言いましたが、確かなところ私はあなたがたを知りませんと言われ、祝宴に入ることができませんでした。
 これらのたとえは、キリストの再臨のことを語っています。花婿はイエスさまで、娘たちはキリストの花嫁すなわち教会だと言われています。同13節に、「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」と書かれている通り、再臨の時は不意打ちのようにやって来ます。しかも準備できている者とそうでない者とは区別されます。
 イエスさまを信じ、聞き従いましょう。それが再臨に対する最善の備えです。
(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年4月15日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2020年4月8日水曜日

再臨の兆し

 世界を挙げて今、人類は新型コロナウイルス との戦いに直面しています。初めてのことで対 応が慎重でありすぎたのでしょうか、後手に回 ってしまいました。日本では、7都府県で4月 7日に非常事態宣言がなされましたが、感染者 は増加する一方です。
 東京に住む私の友人は、新型コロナウイルス の影響を受けて、失業の危機にひんしています。 今まで当たり前であった仕事が、政府の自粛要 請を受けて突然なくなりました。この流行はあ らゆる分野で未曽有の被害をもたらしています。
 しかしながら、ここに来て多くの人が、時代が 変わってきたことに気づいてきたのではないで しょうか。その時代とは、終わりの時代です。そ れはイエス・キリストが再臨される時代です。 もちろん、今日明日に再臨が来るわけではあり ません。しかし、その時は確実に近づいています。
 マタイの福音書 24 章では、弟子たちがイエス に、世の終わりにはどんな前兆があるのでしょ う、と尋ねています。イエスは、人に惑わされ ないように気をつけなさい、と語りました。イ エスの名を名のる者が大勢現れ多くの人を惑わ し、戦争のうわさを聞くであろうこと。また、 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、 方々にききんと地震が起こると言われました ( 1 7 節参照)。そして、それらは「産みの苦 しみの初め」であると述べられたのです。
 同 14 節には「この御国の福音は全世界に宣べ 伝えられて、すべての国民にあかしされ、それ から、終わりの日が来ます」と書かれています。 ここに私たちの忍耐と希望があります。
 間もなくイエスは再び来られます。その時、 そのご栄光はいかばかりでしょう。神は私たち を天に迎えてくださいます。この約束を心にと どめ、おのが道を忠実に歩んでまいりましょう。   (イスラエル北野)

み声新聞2019年4月12日号(第1089号)より転載—

2020年4月1日水曜日

知っていただきなさい

 神さまがいかに私たちを愛しておられるのか、 イエスさまは、たとえを用いてお話しされました。
  「五羽の雀(すずめ)は二アサリオンで売っ ているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御 前には忘れられてはいません。それどころか、 あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられてい ます」(ルカの福音書 12 章6、 7 節)
 何のことでしょうか。イエスさまの時代、ス ズメは庶民の食べ物で、2羽で1アサリオンで した。それを二つ買うと1羽おまけが付いてく る、それが5番目のスズメです。値段さえつか ない価値無きスズメです。しかし、そういった スズメでも、神さまはちゃんと覚えてくださっ ているというのです。イエスさまは、あなたが たはたくさんの雀よりもすぐれたものです、と 言ってくださいました。また、私たちの頭の毛 の本数なんて誰が知っているでしょうか。神さ まです。神さまは私たち以上に私たちのことを 知っておいでです。というのは、私たちを愛し ておられるからです。
 ピリピ人への手紙4章には「何も思い煩わな いで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる 祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神 に知っていただきなさい。そうすれば、人のす べての考えにまさる神の平安が、あなたがたの 心と思いをキリスト・イエスにあって守ってく れます」(6、7節)という一文があります。
 私たちは、しばしば手に余るような問題に見 舞われ、心配や思い煩いでいっぱいになります。 しかし、そのことを感謝して祈り、また求め願 うなら、神はあなたの祈りと願いを聞き届けて くださいます。神はあなたを愛しておられます。 ですから、あなたもまた、あなたの必要を知っ ていただきましょう。愛され平安を下さり、助 けてくださいます。心の願いを知っていただく、 これが解決です。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2019年4月5日号(第1088号)より転載—