2019年5月29日水曜日

逆転勝利

 新約聖書のコリント人への手紙第二12章に、興味深いことばがあります。パウロが語ったことばで、「大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(9節)とも、「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(10節)とも、書かれています。
 私は、このことばを知れば知るほど、自分の人生観が変わってきたことに驚いています。弱さは決してマイナスの要因ではなく、むしろ神が働かれる土台、祝福を受けるポイントとして用いられるのです。あわや、という状況の中で幾度も神による逆転勝利を見てきました。
 私の住む旭川市は、旭山動物園で有名になりました。廃園寸前のところにいましたが、そこから盛り返したのです。画期的な運営は成功し、日本の動物園全体に大きな影響を与えました。
 私の両親は離婚寸前、突如父にガンが見つかりました。そこから父母は離婚を止め、力を合わせて闘病しました。離婚するはずの2人でしたが、病院でおしどり夫婦として有名になるほどの大逆転が起きました。
 さらに、教会のキャンプ場として、白馬に素晴らしいホテルが開かれていますが、これも元をたどれば、ヤングキャンプの場所がない、という絶体絶命からの大逆転でした。
 イエスさまの生涯もまた、逆転勝利といえるのではないでしょうか。イエスさまが十字架の上で息を引き取られた時、サタンは神のひとり子を殺したと有頂天になっていたでしょう。しかし、神はイエスさまを死からよみがえらされました。全てがひっくり返ったのです。
 他にも多くの逆転勝利を挙げることができます。ですから問題を恐れないで、イエスさまを信じて神さまに期待しましょう。神さまにおできにならないことは一つもありません。これから神による逆転勝利があなたの内にも起こります。 (イスラエル北野)

み声新聞2019年6月2日号(第1044号)より転載—

2019年5月22日水曜日

霊の世界

 「令和」という時代になって、多くの人が御朱印を求めて寺社に並んでいる様子をテレビが伝えていました。御朱印というのは、寺社仏閣に参拝したことの証しに求めるもので、日付と寺社名が筆で書かれ、赤い印が押されたものです。御朱印を頂くことは、その寺社との霊的な関係が結ばれたことを意味するといいます。
 私は、四国出身です。四国は「四国八十八箇所」という弘法大師が開いたとされる
88
の霊場を巡礼するお遍路さんで有名です。私の家族親族もこれに帰依して家には大きな額縁がありました。88の御朱印を一つに集めて額縁に仕立てています。とても高価なものです。
 さて、ある時、父が病を得、大きな手術をしなければならなくなりました。何とか助かってほしいと願った母と妹と私はこの額縁を捨てることにしました。父は激怒するでしょう。しかし、命には代えられません。聖書では、悔い改めて高きところを取り除くと、神が祈りに心をとどめられ、あわれんでくださったという記述があるので、偶像を取り除き神にあわれみを請う、もう私たちにはこれしかありませんでした。
 手術は成功しました。術中父は、夢なのか現実なのか白い雲に乗って天国に行ったと言います。予定より早く手術は終わり、医師も肝硬変には違いないがまだ大丈夫だと、早くもいやしさえ始まっていました。私はこれが、額縁を処分したことと深く関わっていると信じています。御朱印によって付けられた悪霊との関係が断ち切られ、キリストの支配のうちに入ったのです。
 世の中には、見えるところによらない霊的な世界というものがあります。特にいやしでは顕著にそれが現れてきます。悔い改め神に立ち返るなら、あなたは永遠のいのちを得ます。救いはキリストのうちにあるのです。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年5月26日号(第1043号)より転載—

2019年5月15日水曜日

弱 さ

 罪はいろいろありますが、「高ぶり」は人が最も陥りやすい罪だと思います。自分を高くしてしまうとまず元に戻ることはできません。私もこれで幾つか手痛い失敗をしました。
 使徒パウロは、ユダヤ人社会のセレブです。誇れるものはたくさんあります。にもかかわらず彼は、コリント人への手紙第二12章5節で「私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」と告白しています。
 何があったのでしょうか。7節ではこう書かれています。「その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです」
 パウロが主から受けた啓示があまりにも素晴らしいものであったので、高ぶることがないよう、神はパウロに肉体のトゲを与えました。一説では病気であるといわれています。このトゲはパウロに絶えず弱さを思い起こさせるものとなりました。またパウロは、3度、これを私から去らせてくださいと神に願いました。しかし、神は「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(9節)と語られました。
 世は弱さを恥とします。しかし、神の前では弱さは恵みであり祝福です。なぜなら、弱いところには神が働くからです。
 それを悟ったパウロは「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」と語りました。神は、私たちの弱さを、恵みによって、強さへと変えられます。
 イエスさまを信じましょう。「私が弱いときにこそ、私は強いからです」(10節)ということばは、あなたの上にも必ず成就する、神の恵みのことばです。 (イスエル北野)

み声新聞2019年5月19日号(第1042号)より転載—

2019年5月8日水曜日

救 い

 大学生の時、友人に連れられてMキリスト教会に行きました。実は小学校の時に日曜学校に通っていたので、教会は初めてという訳ではありませんでした。それから数年、大学で心理学を学び、そこにこそ解決があるように思い高ぶり、キリスト教は(宗教は)もう卒業したと豪語する者でした。M教会では、何名もの方が親切に声を掛けてくださいました。しかし話をすると、皆一様にあなたのような人は救われないだろうと言い、私自身もそう思っていました。
 ところが、神の愛と恵みによって私は救われたのです。その日、M教会の一室で祈った時、聖霊さまのご臨在に触れ、神の元に帰りました。全てが一変しました。見るものも触れるもの全てが新しく、心に大きな喜びが注がれました。
 人を救うのは神です。自分の力でも人の力でもありません。神の恵みです。ですから私は無条件に救いにあずかりました。どんなかたくなな人であっても、神さまにはおできにならないことは一つもありません。ですから、広く救いを求めていただきたいのです。
 使徒の働き1631節に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と書かれています。このことばは真実で、私が無理だと諦めていた家族親族が次々に信仰に入りました。救いは絶対に無理と思われた迫害の人・父さえも、妹を通して救われました。驚くことに、信仰に入ることを強く反対しているような人ほど、救われると一変して、猛烈に神さまに仕えるようになります。使徒パウロがその一例です。
 家族の救いは神さまの約束です。私たちに必要なのは、主イエスさまを信じること、ただそれだけです。主の恵みは深いのです。あなたもあなたの家族も救われます。主イエスを信じましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2019年5月12日号(第1041号)より転載—

2019年5月1日水曜日

赦された罪人

 12
章には「私たちの兄弟たちの告発者」という一文があり、サタンは
私たちを神に告発するものです。
 サタンは、やがては自分が滅びることを知っているので、神に愛されている人間をとても憎んでいます。あわよくば地獄に連れて行きたいと、私たちの罪を激しく糾弾して、神に訴えているのです。
 サタンは巧妙に自分を隠します。サタンなんているはずがないという思索を吹き込んでいるので、私も未信者の時にはそう信じていました。しかし、いないなんてとんでもない、それこそが最大の惑わしです。
 そもそも、サタンは大うそつきです。創世記3章で、蛇(サタン)はエバを惑わしました。神さまは人に「善悪の知識の木」から取って食べてはならない、それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ、と語られました。しかし蛇は「あなたがたは決して死にません」と大うそを語って、エバを惑わし、結果、人類に死が入りました。
 21
世紀の今でも、昔同様、サタンは暗躍しています。しかし、イエスさまが私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださったので、サタンはもう敗れています。
 キリストを信じる私たちは罪の赦しを頂いたので、全てさばきは無効となりました。罪人であることには変わりありませんが、私たちは赦された罪人です。そして神に愛されているのです。
 あなたも神を信じ、祝福を受けましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年5月5日号(第1040号)より転載—