2013年7月29日月曜日

モーセの失敗

 「モーセという人は、地上の誰にもまさって非常に謙遜であった」と、民数記
に書かれています。彼は、イスラエルの指導者で、出エジプトの際、紅 海が分
かれて壁となり海の底を渡ったという奇跡を取り次ぎました。
 モーセには、イスラエルをカナンの地に導き入れるという使命がありました。
しかし、その召しを引き継いだのはヨシュアで、モーセは、カナンの地 を見な
がらも、入ることが許されずネボ山で死んだといわれています。
 一体何があったのでしょうか。民数記20章によると、ツィンの荒野に来たと
き、民は水がないと激しくモーセに逆らいました。それを聞いた神は、 「杖を
取れ。(中略)あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す」と語
りました。
 ところがモーセとアロンは、会衆に向かって、「逆らう者たちよ。さあ、聞
け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないの か」
と言い、モーセはつえで岩を2度打ちました。水は湧き出ましたが、これは神さ
まの語ったやり方ではありませんでした。また水を出すのはモーセ ではなく神
さまです。それをモーセは自分だと錯覚してしまったのです。
 高慢は、このように知らないうちに私たちの心に根を張るのです。そして何か
の時に神さまの栄光を盗んでしまいます。モーセですらこうなら、まし てやわ
たしたちはどうでしょう。
 神さまに栄光を帰すには謙遜が必要です。神さまは、その謙遜のために、さま
ざまな試練を通して、私たちを弱くします。弱さは神の恵みです。コリ ント人
への手紙第二で、パウロは語りました。 「私が弱いときにこそ、私は強いから
です。」
(イスラエル北野)
み声新聞2013年8月4日号(第739号)より転載—

2013年7月22日月曜日


時刻がきています
 黙示録には、全世界の7つの教会に対する神の私信が述べられています。
 その中で、ラオデキヤ教会に対して主は次の様に語られました。「わたしは、
あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わ たしは
むしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい」(3章15節)
 これは、神さまのことを実によく表している言葉です。神さまは、私たちが熱
いか冷たいかどちらかであることを好まれるのです。パウロを見てくだ さい。
イエス・キリストに出会う以前の彼は、主の弟子たちを脅かし、殺害の意をもっ
てダマスコに至るまで迫害していた人物です。しかし主はそのサ ウロを180
度変えました。熱心に迫害していた者が、今度は熱心な神の使徒となり、豊かに
神の実を結びました。
 聖書を読む限り、一番いけないのは、熱くも冷たくもない人です。残念です
が、神さまは、その人を用いることはできません。だから、前述の聖書も 「わ
たしの口からあなたを吐き出そう」(16節)と続きます。
 ローマ人への手紙13章には「あなたがたは、今がどのような時か知っているの
ですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき 時刻がも
う来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちに
もっと近づいているからです」(11節)と書かれています。
 私たちは、リバイバルを召しとして歩み始めてから約30年になります。初めて
主にであった、あの聖霊による喜びを覚えていますか。この時代に、 皆さんが
主から受けた約束は成就します。それゆえ、主の恵みによって、熱心を奮い起こ
し、目を覚まして主に従ってゆきましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2013年7月28日号(第738号)より転載—

2013年7月20日土曜日


禍から祝福へ
 先日、借家の大家さんが、賃貸業を止めるから三カ月以内に出てください、と
言ってこられました。私たちには何の用意もなく、降って湧いたような 試練に
恐れを抱きました。
 しかし、その日の夜の聖書通読箇所から神は、「あなたがたはこの山に長くと
どまっていた。向きを変えて、出発せよ」(申命記1章6節)と語って くださ
り、この引っ越しは、大家さんを越えて神から来ているものだと確認しました。
 確かに、私たちは14年もとどまっていました。そしてこの時に新しい歩みのた
めに召し出してくださったのです。同2章3節には、「北のほうに向 かって行
け」とありますが私たちの家の真北は永山という町です。そこは、旭川市の中
で、最初に開拓された村だといいますので、みこころを感じまし た。
 事実、永山に適当な物件がありました。しかし保証人の件で借りられませんで
した。もうどこも貸してもらえないだろうと、意気消沈していました。 経済も
物件も私たちには手の届かないもののように見えました。
 こうなれば私たちの行き着く先は、天の御国の父なる神さま以外にはありませ
ん。私たちは、この問題を差し出し、神さまに感謝の声賛美の声を上げ まし
た。切々と訴える祈りの声を神は聞いてくださいました。まず、引っ越しに関わ
る経済が与えられました。そして、物件ですが、以前図面を取り寄 せた不動産
屋からの問い合わせがあり、何と永山の物件を見せてくださいました。そしてそ
こが神が用意されたものだと確信しました。
 本来なら、路頭に迷う展開ですが神はそれを祝福に変えられました。これこそ
神の栄光です。感謝と賛美を主にささげます。   (イスラエル北 野)

 み声新聞2013年7月21日号(第737号)より転載—

2013年7月11日木曜日


虹は語る
虹を見ることは、この上ない喜びです。聖書の中で最初に虹が出てくるのは、創
世記9章13節です。「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それ はわたし
と地との間の契約のしるしとなる」と書かれています。
 ノアの時代、人類の罪が目盛りに達し、神は洪水によって人から獣に至るまで
あらゆる肉なるものを滅ぼそうとされました。神はノアに箱舟を造るよ うに言
い、大洪水を起こし、箱舟の中にいた者たちだけが助かりました。しかしこのこ
とで神は心を痛め、もう水によって滅ぼすことはしまい、と、約 束の虹を与え
てくださったのです。
 それが虹の出自ですが、それを超えて今や虹は祝福のしるしとなっています。
私事ですが、長く病院に入院していた時、恐れと不安がありました。こ れで大
丈夫なのだろうかと悩んでいた時、私の部屋の窓から、あらぬ方向なのに、虹が
出たのです。言葉にできないほどの慰めを受けました。
 虹のどこがいいって、それはタイミングです。主は全てご存じで絶妙のタイミ
ングで虹を見せてくださいます。
 先日、祈祷会で私たちの直面している問題を、感謝と賛美の声をあげつつ力の
限り、主をほめたたえました。すると突然激しい雨が下り、雷の声がと どろき
ました。祈りは聞かれたといわんばかりの天候異変に、立って表に出ました。走
りながら、心の内に虹が出ると強い確信が来るのです。
 果たして、外に出た時、ちょうど神さまが虹を作っておられたところでした。
うすい虹が置かれていて、見る見るうちに虹は鮮やかで、光を放つ二重 の虹と
なりました。私たちは数日後、解決と神のご栄光を見ました。虹は祝福のしるし
です。神さまは私たちを強めてくださいます。(イスラエル北 野)
み声新聞2013年7月14日号(第736号)より転載—

2013年7月3日水曜日

ヤボクの渡し

 ヤコブは、イサクから生まれた双子の弟です。その名は「取って代わる者」と
いう意味です。その名の通り、兄エサウからレンズ豆と引き換えに長子 の権利
を買い、また父イサクの、エサウへの祝福も横取りしてしまいます。
 これを知ったエサウはヤコブを殺そうとしますが、ヤコブは母の兄ラバンのも
とに身を寄せます。そこで、ヤコブは2人の妻と2人の女奴隷、11人 の子ども
を持ちましたが、彼が力を持つに従って、ラバンとの間に問題が起こるようにな
りました。神はヤコブに、あなたの生まれた先祖の国に帰りな さいと語られま
した。
 ヤコブは、かつてエサウをだましたので、エサウの報復を恐れていました。エ
サウが400名を率いて迎えに来ると聞きヤコブは、宿営が打たれて も、一つ
が残るよう宿営を二つに分けました。また、自分の先にエサウへの贈り物を次々
と贈り、自分だけは助かろうと、隊の一番後ろにいたのです。
 一行は、宿営地で夜を過ごします。恐れたヤコブは夜のうちに、妻子と持ち物
を連れて、ヤボクの渡しを渡らせますが、ひとり残ったヤコブは夜明け まであ
る人と格闘しました。その人は、ヤコブに勝てないと知って、もものつがいを打
ち、夜が明けるので私を去らせよ、と言いますが、ヤコブは、私 はあなたを去
らせません。私を祝福してくだされなければ、と食い下がりました。
 その人は、神さまでした。あなたは神と戦い、人と戦って勝ったのだ、とヤコ
ブを祝福します。そこからヤコブは隊の先頭に立ち、兄に会いにいきま した。
ヤコブは問題に勝利したのです。皆さんもまた、ヤコブのように問題に打ち勝つ
ことができます。それは、祈りです。決して諦めず、神にすがり ましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2013年7月7日号(第735号)より転載—