2013年5月21日火曜日


守 り
 15年も前のことですが、夏休みに小さな旅行をしました。小学生になったばか
りの姉と幼稚園児の妹とが、「ホテルのプールで遊びたいよ、妹は私 が見るか
ら行かせて」とせがむので夫が連れてゆきました。
 夫はそのまま部屋に戻ろうとしましたが、何気なくプールサイドに腰を下ろし
たそうです。するとしばらくして、ポチャンという小さな音をひろった ので
す。もしや、と思いましたが、下の娘の姿が見当たりません。プールへ駆け付け
てみると、案の定、手を上に上げたまま沈んで行っている最中でし た。間髪を
入れずに手を入れ、娘を引き上げました。大泣きをしながら彼女は生還しました。
 一方、「私が妹を見るから」と言ったお姉ちゃんは、遠くの方で遊具に乗ろう
として夢中になっていました。子どもたちだけにしてしまったら、大変 なこと
になるところでした。
 もし、夫がプールサイドに残らなかったら、また、ポチャンという音を捉えて
いなかったら、下の娘の命はなかったでしょう。このことを思い返すた びに私
たちは、ゾッとします。娘が助かったのは、ただただ神の哀れみで、神の時が来
ていなかっただけなのです。
 アメージング・グレイスの歌詞に、「危険をもわなをも避け得たるは、恵みの
みわざと言う他なし」という一文があります。実感を持って私もそう思 いま
す。皆さんも神さまによって助けられたこと、守られたことがおありになると思
います。
 私たちは一人も例外なく、神さまに愛されています。神さまはあらゆる危険か
ら守ってくださいます。主イエスを信じましょう。
(イスラエル北野)

 み声新聞2013年5月26日号(第729号)より転載—

2013年5月15日水曜日


サタンの攻撃
 聖書は、生けるまことの神、主イエス・キリストを私たちに語っています。し
かし同時に、サタンという悪魔が存在することも、また私たちに教えて います。
 神さまの働きを行おうとする時、また、神さまに祝福を願う時、このサタンの
働きについて知っておくことは重要です。
 私たちの教会用語の一つに、「アタック」というものがあります。これは、サ
タンによる攻撃を意味するのですが、サタンは目に見えないので、気づ くとい
うのはなかなか困難です。
 かくいう私も、その傾向にある者で、周期的に同じ愁訴を繰り返しているよう
なのです。思いつめた声で悩みを語ると「その話この間も聞いたわよ」 と明る
く指摘され、やっとこの思い悩みが問題ではなく、思いに対する霊の攻撃(ア
タック)であることに気が付く始末です。そして、アタックである と気付いた
ら、それだけで解決してしまうことも数多くあります。
 かつて、私の夫がヨーロッパへ遣わされる時のことです。ルーマニアへ行くの
に当時のユーゴスラビアを通っていくかもしれないと語られました。そ のこ
ろ、ユーゴは内戦状態であり、非常に危険でした。夫は、命の危険もあるという
ことで、かなり不安のようでした。「死ぬかもしれない」と本当に 思ったそう
ですが、ある集会の中で「その不安はアタックで、敵の仕業によるものです」と
語られた途端、その不安は消え去り、逆に、派遣に行ける喜 びがやってきたそ
うです。サタンは、私たちに、神さまの祝福を受けさせまいとして攻撃してくる
のです。
 イエスさまを信じて教会につながりましょう。そうすれば、あなたは守られ、
勝利し、祝福を受けていくことができるからです。  (イスラエル北野)

 み声新聞2013年5月19日号(第728号)より転載—

2013年5月7日火曜日


死もまた、あなたがおられる
 全てのことを感謝し神を賛美することを教えてくださったマーリン・キャロ
ザース師は、天に帰るその日にご自分がどんな言葉を語るだろうかという 事に
とても関心をお持ちのようでした。
 全ての人がそうだとは言えませんが、死を前にした人というのは、何か特別な
ものが見えたり聞こえたりしているようです。先ほどのマーリンさんの お父さ
まは、天が開けているのを見て、もうこれ以上の治療は結構ですと言い、御国に
旅立ちました。
 またある姉妹は、召される前に既に召された兄弟姉妹の名を呼び、喜びの声を
あげつつ天に帰って行きました。
 さらに、私の父は、ガンでしたが、召される3日ほど前から、せせらぎの音が
聞こえるとしきりに口にしていました。それは天の御国を流れる、いの ちの水
の川のせせらぎを聞いていたのではないかと思います。霊においては、それ程、
天の御国が近くになっていたのでしょう。いよいよという時に なって父は、御
使いを見て、命の日数を延ばしてくださるよう熱心に願いました。しかし、3度
退けられると、分かりましたというように顔を元に戻 し、たちまちにして召さ
れて行きました。
 死を見ることなく移されるということがあるのです。詩篇23篇でダビデは「た
とい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れませ ん。あなた
が私とともにおられますから」(4節)と告白しました。
 どんな死に方をするのかということは、誰もが興味を持つところで、確かに死
は怖く感じるものです。しかし、安心してください。イエスさまの十字 架に
よって、死は命にのまれました。私たちは死を越えてパラダイスに移されます。
イエス・キリストを信じましょ う。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年5月12日号(第727号)より転載—