2013年3月25日月曜日


奇跡
 私たちがまだ駆け出しの奉仕者であった頃、熊本教会の牧会の傍ら、鹿児島で
の教会形成を導かれました。それを受けて月に一度、教会のメンバーと ともに
鹿児島へ車を走らせました。
 一回目の聖会が持たれた時、新来会者を私たちは待ちましたが、私たち以外の
ご当地の人は来ませんでした。次の聖会も、また次の聖会も、たたき続 けて期
待しましたが一向に人が来る気配が無く、いつしか1年が過ぎ、しばらくしてか
ら何と、聖会場所が借りられなくなるという事態さえ許されまし た。
 鹿児島の宣教ももうこれで終わりか、と一瞬そう思いました。しかし、神の手
はここから動いたのです。
 その日、私たちはいつもと同じようにトラクトを配っていたところ、一人の女
の子が具合悪そうにしている所に出くわしました。「私は牧師ですが祈 らせて
いただけませんか?」
 ハレルヤ!まさにこの瞬間、ここから奇跡が起こりました。癒やしの祈りを快
く受けてくださった女の子とお母さんは、何とクリスチャンで、しかも 私たち
の上司のこともよくご存じでした。懸案であった翌月からの聖会場所も、その方
が探してくださるようになりました。
 これは奇跡です。もし、何かが一つでも欠けたなら、このタイミングでの出会
いはありませんでした。神さまが、私たちを引き合わせたのです。今ま で1年
以上は、ひとっこひとりも来なかった聖会が、新しい場所とともに一気に10名近
い聖会となったのです。
 ルカによる福音書1章37節に「神にとって不可能なことは一つもありません」
と書かれています。神は生きておられ、現代においても奇跡をなされ ます。あ
なたもイエスさまを信じ、その人生に神さまの奇跡を見ていきましょう。
    (イスラエル北野)

 み声新聞2013年3月31日号(第721号)より転載—

2013年3月22日金曜日


命を捨てる愛
北海道に来て初めて知ったのが、地吹雪の怖さです。地面の雪がもうもうと立ち
上がり、右も左も、前も後ろも全く分からなくなります。そこを行く怖 さは、
並大抵なものではありません。
 先日、雪で遭難した親子をニュースで取り上げていました。52歳のお父さん
が、最寄りの民家まで50メートルのところまで来ていましたが、そこ で遭難し
ました。お父さんは、吹雪の中、穴を掘って娘を押し入れ自分のジャンパーを広
げ、自ら覆いかぶさるようにして娘に暖を取らせました。そし て10時間、お父
さんは、凍死しましたが、娘さんは助かりました。
 このニュースはあっという間に世界のニュースとなりました。残された9歳の
娘さんは、2年前母親を病気で亡くしており、今度は自分のただ1人の 父を
失ったわけです。彼女の力となりたいと、多くの人が名乗りを上げています。海
外メディアは、亡くなったお父さんのことを「サムライ」と呼び、 敬意を表し
ています。
 ヨハネの福音書1513節には、「人がその友のために命を捨てるという、これ
よりも大きな愛はだれも持っていません」と書かれています。お父 さんは娘を
救うために自分の命を投げ出したのです。子を生かすため自ら犠牲となって娘を
守ったのです。これは、一介の罪人である私たちにできる最 高の愛のかたち
だったと思います。
 そして神の愛も、またそうであったことを知ってください。すなわち、イエ
ス・キリストはあなたを救うために、十字架で死なれました。そして3日 目に
よみがえり、救いの道を開かれたのです。イエス・キリストを救い主として信じ
ましょう。命を捨てるほどまでも、イエスさまは皆さんを愛してお られます。
    (イスラエル北野)

み声新聞2013年3月24日号(第720号)より転載—

2013年3月12日火曜日


目を覚ましていなさい
 マタイによる福音書24章で、イエスさまは次の様に語られました。
 「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は
(中略)、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりして いまし
た。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかっ
たのです。人の子が来るのも、そのとおりです」(3739 節)
 人の子とは、イエスさまのことです。これは、主の再臨のことをいっていま
す。ノアは、神さまに大きな箱舟を作るよう語られ、100年かけて作り 上
げ、人類では、箱舟に乗ったノアとその家族たちだけが助かりました。
 私たちはみな、ノアから学ぶ必要があります。ノアとその箱舟はこれから起こ
ることのひな型であるからです。それは主のみ救いです。
 聖書によると、人の子イエスさまは、世の終わりに再び来られます。そして、
天地は次には火によって焼かれる定めにあります。ペテロの手紙第二3 章10
にはこう書いてあります。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。そ
の日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼け てくずれ去り、
地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」
 今、私たちの周りに起こってきている状況をどうか思い出してください。東日
本大震災、原発事故や領土問題、ついに先日は、隕石が地上に落ちまし た。聖
書から見ると、これらはみな人の子の来られる前のしるしなのです。
 聖書では、繰り返し目を覚ましていなさい、悟りなさいと語っています。箱舟
とは、イエスさまの救いです。聞く耳を持たないものには、その日は突 然やっ
てきます。イエスさまを信じることは備えです。  (イスラエル北野)

 み声新聞2013年3月17日号(第719号)より転載—

2013年3月8日金曜日


人 生

 ある時、私は病気で「今もう死んでゆくのだ」という境地に置かれたことがあ
ります。
 天国へ行くことには、疑いがありませんでしたが、自分は生まれてきて、一体
何をしたかと考えると、こうだと言えるものは一つもありませんでし た。結局
は好き放題をしただけで、自分は人生を無駄に使ったというとてつもない悔いが
こみ上げてきました。
 今まであくせくしていた人との対立や問題が、死を前にすると途端に、遠く小
さな問題に見えました。もっと時間をください。みこころを行わせてく ださ
い、私は懇願しました。
 以前もお話しましたが、末期ガンのご主人が、ある時クリスチャンの奥さんに
言ったそうです。自分はもう長いことがないから、今のうちに言ってお きたい
ことがあるなら言ってくれ。奥さんはちょっと考えてから、思い出を語りまし
た。あの旅行は楽しかったね、などと。ご主人は、そうかそれだけ か、そう
言ってこの話は終わりました。
 ご主人が亡くなってしばらくして、ある日奥さんははたと気づきました。自分
は夫に福音を語っていなかった。夫が話しかけてきたあの時が語る機会 だった
のだ、そう気づいたそうです。その悔いたるやいかばかりでしょう。
 人にはそれぞれ神がくださる「召し」があります。幸いなのはご自身の人生の
中で召しを全うした人です。
 ヨハネの福音書6章27節には「なくなる食物のためではなく、いつまでも保
ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と書かれています。
 私たちの人生は、食べて寝ることに終わってしまうものではありません。福音
を信じ本当に価値ある人生を生きましょう。それは、神とともに生きる 人生で
す。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年3月10日号(第718号)より転載—