2022年10月29日土曜日

核戦争

 人類は、今まで2発の原子力爆弾を投下し、用いました。第二次世界大戦の中でのことで、広島そして長崎は一瞬にして焦土と化し、多くの人が亡くなりました。戦争がどんなに悲惨なものであるのか、それを風化させないために多くの人々が語り部となり、平和の尊さを訴えました。世界中の人々が今も爆心地を訪れ、平和への誓いを新たにしています。

 広島、長崎の原爆投下で分かったことは、核兵器を用いると地球は滅びるということです。今ある核兵器だけでも優に地球を何回か滅ぼしてしまうほどの殺傷力があると言われています。核のボタンを押すだけで発射されて、受ける相手側も報復で核を使うなら、それはもう、地球全体を巻き込む核戦争となります。今やこれは周知の事実です。

 世界規模で、核を持つ、あるいは持たない、ということの微妙な均衡を保ちつつ、今の社会は成り立っています。これを崩さず上手くやってきたのに、今回そこに踏み込んできたのがロシアのプーチン大統領です。ご存じの通り、ロシアは今ウクライナと戦争を始めています。核を使うということを口にしており、水面下の駆け引きがあるようです。

 今後、核戦争は起こるか、この問いに関して私の意見はイエスです。聖書のペテロの手紙第二では、この世は火に焼かれるためにとっておかれていると書かれています。そして、私は、火で焼かれるとは戦争に核が用いられることではないか、と思っています。

 310節にはこう書いています。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」。また、12節でも「その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます」と書かれています。大規模な核兵器が使用される時、地球だけでなく天の万象さえも巻き込んだ崩壊が訪れるように読み取れます。

 第二次世界大戦終了後の1945年から、1989年のマルタ会談の調印までの40年以上の間、米ソ冷戦時代がありました。その間、核兵器は殺傷能力を高め、またボタン1つでいつでも用いられる状況になりました。宇宙を巻き込んだ戦争の舞台設定ができたのです。そしてそれは、そのまま一旦幕引きされました。

 そして、今21世紀になり、幕は再び静かに上がりました。時は満ち、今は終末という時代です。イエスさまの再臨のしるしが現れています。確かに万物は火によって焼け落ちてしまいます。しかし、その後には万物は改まり、新しい天と地が天より下って来ます。全ては一新されます。目を覚まして、その日を待ち望みましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年10月29日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

2022年10月20日木曜日

神の戦い

 サタンという存在は空想上のものではなく、現実にいるものであって、私たちが生きている間、私たちは何かとサタンからの攻撃を受けます。サタンは神に愛されている「人」という存在をひどく憎んでいます。サタンは自分がやがて燃える火の池に投げ込まれることを知っているので、1人でも多くの人間を救いにあずからせまいと暗躍しています。そして、ここに、霊の戦いというものが起こります。時々ニュースで取り上げられる大事故などは、サタンの介在を思わされるものが多いです。

 憎しみや殺意を抱きながらも、それを隠して近寄ってくるサタンに、多くの人が惑わされています。サタンがどういうものかといえば、その名の通り、まず、破壊者です。へブル語でアバトン、ギリシャ語でアポリュオンといいます。また、ベルゼブル(蝿の王)とも呼ばれ、無価値とも愚かなものとも呼ばれています。また、光の御使いにも化けると言われていますし、サタンは大ウソつきであるのです。

 人がエデンの園に置かれた時、神は人に「あなたはどの木からでも思いのままに食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記21617節)と言いました。サタンである蛇は、直接それを聞かなかったエバを狙って噓を言います。「神はほんとうにそう言われたのですか?」するとエバは早くも惑わされて、「死ぬ」ということばを「死ぬといけないからだ」というふうに聞いてしまいました。「死ぬ」と「死ぬといけないからだ」では大違いです。

 そこで、狡猾な古い蛇であるサタンは、ダメ押しの一言「決して死にません」と偽りを語ると、エバはいかにも美味しそうなその実を取って食べました。夫・アダムにも与えたので、2人は食べ、原罪が生じ、神のことば通りに死が生じました。そして、このままで永遠に生きることがないようにと、エデンの園から追放されたのです。

 サタンを直訳すると「神の敵」という意味になります。サタンは、もともとは天の御使いの頭(かしら)でした。ルシファーと呼ばれた、芸術や音楽に秀でた天使でした。堕落する前までは落ち度なく天で神に仕えていました。しかし、ある時ルシファーは自分が神になろうとしたのです。そこに罪が生じ、直ちに天から追放されました。そして、彼に従う天上の天使たち、およそ3分の1とともに地に下ったのだと言われています。彼らは堕天使であり、地において悪霊として働いています。

 確かに、神とサタンの対決ということは絶え間なく起こっています。しかし、その戦いはとっくに決着がついています。なぜなら神は全能者であり、サタンは被造物だからです。神さまはサタンをも造られたお方です。到底互角の戦いにはなりません。サタンが働けるのも、神の許しの範囲内であってのことだからです。神に比べればサタンは、はりぼて同様です。彼らができるのは、せいぜい惑わしです。

 ですから忍耐をもって事に当たりましょう。サタンは告発者です。私たちの罪を昼も世も休みなく、神に訴えています。しかし神は、私たちを赦し、建て上げてくださるためにイエスさまをくださったのです。御子をさえくださった神が、この戦いを助けてくださらないことがあるでしょうか。これは神の戦いです。主イエスの十字架を見上げ、信仰を固くして行きましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年10月20日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2022年10月13日木曜日

主の日 

 神のみ前に定められている1つの日があります。私たちはそれを「主の日」(the day)と呼んでいます。ペテロの手紙第二310節にはこう書かれています。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」

 勘の鋭い方は、これでもう察しがつくと思います。私たちが生きている今のこの世は、いつまでも続くのではなく終わりがあるのです。天の万象が焼けてくずれ去るなんて、いったい何が起こるのだろうと、今までの多くの先人たちは語り、また想像さえもつきませんでした。ところが、今の時代に生きる私たちには容易く想像がつきます。核兵器です。核兵器が世界中で使用されると、間違いなく天の万象は焼けてくずれ去るでしょう。そう考えられるのは、それだけその成就が近くなったということです。ぎりぎりまでその事態を回避するため和平を結ぶ努力はされると思います。けれども、結局は罪人である私たちです。ついにはその日を、世の終わりの日を、迎えてしまうようになると思います。

 興味深いことに、人類は水によって滅びたという伝承や歴史が地球上のあちこちで残っています。ノアの時代、神は地上に人の悪が増大し、悪いことだけに傾くのをご覧になり、人や生き物を地の面から消し去ろうとお決めになりました。そしてついにその日、天の水門が開かれ、巨大な大いなる水の源がことごとく張り裂け、大洪水が起こりました。そして、ノアとその家族また箱舟に入った動物たちを除くすべてのものは死に絶えてしまいました。

 神は私たち人間を憐れまれ、今後、そのような大洪水による裁きで地球上のいのちが無くなるようなことはしまい、と虹の契約を立てられました。しかし、同じ主によって、世の終わりは火によって天の万象が燃え尽きてしまうになると、聖書に記されています。現に今、ロシアとウクライナ間で戦争が起こり、しかも泥沼化してきています。核兵器の使用も現実のものとして扱われていて、まさに世界は今、産みの苦しみに入り始めているのです。

 まもなく再び主が来られます。再臨に向けて、時が満ちようとしています。私たちは悟り、時のしるしに目を向けましょう。その日、火によって万物はうせ、また改まり、そして新天新地が訪れます。世と世のものは過ぎ去り、新しい世界が始まります。神のことばは言葉通り成就するでしょう。そしてノアの時代に箱舟が備えられたように、この終わりの時代には、神は御子イエス・キリストを私たちにくださいました。初臨において救いを成し遂げられたイエスさまは、2度目には王として世に来られるのです。

 イエス・キリストを信じましょう。キリストのうちに永遠のいのちがあり、キリストを信じる者は皆、救われます。もはや死を見ることもありません。私たちへの救いの約束は、究極においては天において成就します。時は近づいていることを知ってください。

MIKOE NEWSから転載」 2022年10月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2022年10月8日土曜日

産みの苦しみの初め

 かれこれ3年になるでしょうか。コロナウイルスは地球をすっかり変えてしまいました。世界的な大流行となり、多くの人が命を失いました。またその流れの中で、ロシアはウクライナに宣戦布告し、戦争を始めました。大方の予想に反してロシアは苦戦し、泥沼の戦いとなっています。確かにこの23年で世界は大きく終末の様相を帯びてきました。多くの方が、これからの行く末を思い、不安にかられているように思います。

 イエスさまの時代もまた、今より2000年も昔であるにもかかわらず、既に終末論が語られていたようです。お弟子たちがエルサレム神殿に目を見とれていると、イエスさまは、おもむろに「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません」とお語りになられました。それを聞いた弟子たちは驚き恐れ、ひそかにイエスさまに質問しました。「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう

 イエスさまは、その前兆の1つとしてまず「人に惑わされないように気をつけなさい」(マタイの福音書244節)と語られました。終わりの時代の前兆は、まず偽キリストの出現にあるのです。イエスさまは「わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう」と語られました。その通り、世に多くの偽キリストが出ていることは皆の知るところです。

 次いで、6節では「また、戦争のことや戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません」と書かれています。これもまた今の時代を表しているように思います。すでに戦争の火種は地球上のあちこちにありますし、ロシアとウクライナの戦争はまさにこのことばの成就です。いつ世界を巻き込む大戦争が始まってもおかしくはありません。けれども、浮足立つことのないようにと、聖書は語っています。実際、終わりが来るのはまだ先です。そう簡単にはその日は来ません。

 更に78節もまた世に起こる兆候を表しています。「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです」と書かれています。これもまた、既に起こってきています。

 4つ目の兆候は、聖徒たちへの迫害です。「わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます」(9節)と予告されており、「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わし」(11節)、「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります」(12節)ということが書かれています。

 これら聖書のことばは、必ず文字通りに成就します。そして、これらはすべて主イエスの再臨が近いことを示しています。14節には「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」と書かれています。逆に言えば、これらのことが過ぎ去らなければ、終わりの日は来ません。

 今は、そこに至る産みの苦しみの「初め」です。生まれいづるための陣痛が始まっています。これからこそ本番です。主の道を備え、目を覚まして再臨に備えましょう。 

MIKOE NEWSから転載」 2022年10月8日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2022年10月2日日曜日

主がなさるのでなければ

 アメイジング・グレイスは、世界中で最もよく歌われているゴスペルの1つです。その一節に「危険をも罠をも避け得たるは、恵みのみわざと言うほかなし」という詩があり、まったくもってその通りだと思います。

 子供たちが小さいとき、夏に一泊二日のプチ旅行に行きました。温泉が売りの保養施設で、サボテンをはじめ観葉植物が生い茂っていました。そして、その先には、室内プールが備えられていたのです。

 温泉に浸かった後、皆で部屋に帰りました。すると子供たちがせがむのです。プールで遊びたい。私が妹をみるから、お願いだから行かせて頂戴、そう長女が言うので、夫が2人を連れてプールに行きました。

 大喜びでプールに来た2人です。連れて来た夫は、すぐに部屋に帰っても良かったのですが、何気なくプールサイドに腰を下ろすと、「ちゃぽん」という小さな音を捉えました。見渡すと次女の姿が見えません。急いでプールに駆け寄ると、心配した通り彼女が両手を上げ静かに底に沈んでいくところでした。すぐに、彼女の手を取り、引き上げると、大泣きをして無事生還を果たしました。

 よく無事でいられたものです。もし夫が、すぐに部屋に帰ってしまったら、プールサイドであの小さな音に気付かなかったら、彼女は溺れて命が失われていたところでした。私が面倒を見るからと言っていた長女は、すでに波乗りの遊具に夢中になっていて、全く頼りになりません。本当に何という不幸から私たちは守られたことでしょう。こんなことで娘の命を失ったら、一生悔いと自責の中で生きなければなりません。

 詩篇127篇に、このような詩があります。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」(12節)

 ここから学ぶことは、全てにおいて神の守りがあるということです。たとい私が家を建てても、主がそれをご自身の計画として認め、それを祝福として成し遂げてくださらなければ、それはむなしいのです。全て人の上に置かれている働きも、神の手がそこにないなら、むなしさを刈り取るばかりです。祝福は神から来ます。そして神は私たちが眠っている間にも、私たちの最善のために働いてくださっているのです。

 アメイジング・グレイスの作者が回想する神の守りを、私もまたこのように受けました。危険も罠も避け得たのは、まさしく神がそうしてくださったからです。まことに神は、私たちが眠っている間でさえも働いて、私たちに祝福と最善を注いでいてくださっています。それは驚くばかりの恵みです。あなたもまた神を信じ、その人生を神と共に歩んで参りましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年10月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

2022年9月25日日曜日

彼女の人生・ヨブの人生 

 世の中には人の数だけ人生があります。生きている限り、誰もが時代や社会の影響を受けつつ自分の人生を送っています。良い人生、悪い人生と、評価は人それぞれです。けれども、推定9割ほどの人は、波乱万丈であるにせよ、それなりに平凡な人生を送っているように思います。では、残る人はどうなのでしょう。社会からも忘れられかねないこの1割弱の人に、今回は目を向けていきたいのです。

 精神を病んでいる彼女は、その1割弱に属する人でした。医師の治療を受けていました。しかし、これといった効き目はなく、彼女は、とても苦しみました。病苦もさることながら、自分がなぜこのようなつらい目に合うのだろう、ということに対する神からの応答がないことが、彼女をひどく苛め(さいなめ)させました。

 それは、ヨブの苦しみと重なるものがあります。ヨブは受けた試練を、せめて誰かと分かち合いたいと願いました。でも、ヨブを理解してくれる友は一人もいませんでした。むしろ話せば話すほど、友の無理解が心の痛みとなり、なお一層、孤独が募りました。そして、追い打ちを掛けるように、休む間もない病の痛みや苦しみがあります。全身を悪性の腫物で打たれたヨブは、罪人がするようにちりの中に身を置き、土器のかけらで身をかきました。

 もちろん、ヨブは神に叫びました。でも神は沈黙を守られたのです。多くの人が、ヨブがこうなったのはヨブが罪を犯したからだ、と言いました。皆の知識を総動員しても出せる結論はそれしかなかったのです。あなたがたは、空しい慰め手だとヨブは言います。その通りです。人は経験を土台にして物事を計ります。ですから経験していないことが起きると、しばしば判断を誤ります。ヨブに許された試練は、ヨブが罪を犯した結果ではありませんでした。神ご自身がその優れた英知によって定められたことであり、今まで人が経験したことのないものであったのです。友人たちはそのことを悟ることができなかったので、ヨブへの励ましはいつしかヨブへの批判や説教に変わっていきました。

 先程取り上げた彼女もまた、ヨブと同様1割弱に属する人間なのです。彼女の苦しみもまた、試練を分かち合う人がいないこと、神が答えてくださらないこと、そして襲い来る病の疼痛(とうつう)です。その苦しみはやがて宝石のように輝きます。でも今は耐え忍ぶ時です。

 イザヤ書に「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(535節)という一文があります。彼とはイエスさまのことで、イエスさまが苦しまれた、そのみ苦しみと引き換えて、私たちへのいやしがあるというのが聖書の述べるところです。

 彼女の魂は、深い淵に置かれていました。その深い淵から神に向かって呼び求め、あるいは呻き、あるいは願い、心を注ぎ出して、祈りが捧げられました。そしてついに、大きな神の栄光を、勝利を見たのです。

 いやしの土台は、他でもないこの主イエス・キリストの十字架にあります。主が受けられたみ苦しみに引き換えて、私たちはいやされるのです。主はすべての病を担われました。苦しみはやがて、必ず大きな喜びに変わります。祈りを捧げて主の時を待ち望みましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年9月25日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2022年9月18日日曜日

トンネル

 先日、友人から連絡がありました。さまざまな問題が起こって、今は出口の見えない長いトンネルに入ったように感じているというものです。心配しました。しかし、友人はクリスチャンなので、こういう場合どう対応すればよいのかをよく知っています。ここから脱出できるように神さまにお祈りしています、という一文が添えられていました。

 トンネルですが、日本は島国で平地の部分は少ないので、新しく道を作るにあたっては、どうしても山寄りになってしまいます。山が道をふさいでいたら、その山のどてっぱらにトンネルを掘り、豪快に道を作り進んできました。高速道路や新幹線はトンネルに次ぐトンネルの中を行き、それによって私たちの生活や生き方は大きく変化しました。

 今まで体験した中で、一番長かったトンネルは、青函トンネルです。列車で約40分。しかも海底トンネルです。明かりを消すと真っ暗で何の景色も見えません。トンネルが崩れて、海の水が入ってくるのではないかという恐れが沸き上がり、地上に出るまで生きた心地がしませんでした。

 トンネルの中は殺風景です。コンクリートによって、すべて均一に仕上げられていますから、いくらスピードを出しても目にする景色は変わりませんし、行けども行けども出口が見えません。そんな状態になります。ですから、私の友人が出口の見えない長いトンネルに入ったという表現を使ったのは、あながち外れてはいないのです。

 トンネルとは、A地点からB地点までを結ぶ最短距離です。道は大回りしたり、真っすぐでなかったりするので何かとロスを生じます。ですから、最も早く、またダイレクトに目的地に着くためにトンネルが用いられます。神さまがあなたをこうしたいと思う姿へ、最短距離であずからせるために、トンネルがあるのです。

 トンネルでは光も入らず、出口も見えず、周りには壁しか見えないので、不安になったり恐れを生じます。しかし、進んでいくうちに次第に出口も見えるようになり、ついにトンネルを抜ける時が来ます。そしてその時、自分が最短距離でその困難の道を通過したことを知り、驚くのです。それは、神のご愛であり、ご栄光であるのです。

 コリント人への手紙第一1013節にはこのように書かれています。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」

 神のみ前にも試練がありますが、必ず脱出の道が用意されています。トンネルもまた脱出の道の1つです。そこにあるのは、神の愛であり、神の最善が私たちに働いています。トンネルを通る最中は、前も見えず、後ろに引き返すこともできず、つらくて胸が痛みます。しかし、後から振り返ってみると、確かにそれは最短距離であって、神の最善がなされたことに気が付きます。

 信仰に立ちましょう。神はあなたを愛し、あなたに幸いを図っておられます。必ず、問題は解決されます。イエス・キリストを信じましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年9月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/