2015年11月29日日曜日

 
 「命短し恋せよ乙女」という歌があります。50の峠を越えて私も、今ではこれに同感です。娘たちにはぜひ人生の中で恋を知ってほしいと思います。その切なさや喜び、つらいことなど、恋を知って人は大人になって行きます。
 一番つらいのは、失恋です。失恋は自分の全てが否定されたように感じるものです。私も自分の気持ちをどこに持ってゆけばよいか分からなくて、苦い涙をこぼしました。
 でもね、やがて涙は枯れ果てて、新しい出会いがあるのです。この点で、あなたはイエスさまを信頼できますか。
 私たちがまだ若かったころ、教会に失恋した女の子が来ていました。彼女は恋人と別れて、悲しみに打ちひしがれていました。相手を愛おしく思うその思いが、突然行き場を失ったのです。私たちはどう慰めればよいのか、見当もつきませんでした。
 愛を失うことは寂しいことです。牧師はその女の子にこう語りました。「あなたが彼を愛するように、イエスさまはあなたのことを愛しておられるのですよ」この言葉は彼女の心に触れました。失恋したとはいえ、愛を知っていたから、イエスさまがどんなに自分を愛してくださっているか分かったのです。彼女は慰めを受けました。
 皆さんは、イエスさまがあなたのことを愛してくださってるという話を聞いたことがありますか。その愛は真実で、命をも厭(いと)わぬものでした。イエスさまは、私たちを救うためカルバリの十字架で命さえも投げ出し、私たちが神に帰ることができるように贖ってくださいました。その痛み苦しみは、私たちのために味われたものなのです。イエスさまはそれほどまでも、あなたのことを愛しておられます。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年11月29日号(第860号)より転載—

2015年11月22日日曜日

世界の終わり
 日中国交正常化からまもなくして、修学旅行で中国に行きました。そのころの中国は、行きかう人は皆、人民帽に人民服で、おびただしい数の自転車に町は覆われ、蛇腹でつながった2両編成のバスが通りを走っていました。
 2度目に訪れた時、町は自動車であふれかえっていました。建設ラッシュで、王府井がおしゃれに生まれ変わっていました。人民服を着ている人はおらず、ジーンズをはき、ウオークマンを聴き、私たちがよく利用するファストフード店が通りに並んでいました。
 世界は今、一つになろうとしています。資本主義でも共産主義でもない、グローバルな新しい世界秩序が生まれようとしているのです。しかし、そのためには、単一の文化を土台とすることが必要です。中国で起こった変化はこれを裏付けるものです。
 マタイの福音書24章7節には、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり…」と書かれています。この終わりの時代、民族意識はあらたに高揚し、戦争は勃発します。そして、それらを治める強力な指導者が台頭してきます。それが反キリストであると言われています。彼は、民族の垣根をとっぱらい、単一国家の道を押し進め、自分こそ神であると宣言します。
 そして、彼を助けるのが偽キリストです。偽キリストは、宗教を一つにまとめ、世界秩序の構築に力を貸します。
 グローバリズムのシナリオはもうできています。日本もその中に入れられています。日本は先祖たちが守り培ってきた良きものを手放してしまいました。これから患難がやってくるでしょう。しかし私たちの希望はイエスさまの再臨にあります。主の通られる道を真っすぐに備えましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年11月22日号(第859号)より転載—

2015年11月19日木曜日

サクリファイズ
 幼少のころから霊の世界に触れていた私は、思春期になると妄想上の人物を友とし、また母とする妄想の世界に耽溺しました。特殊な体験ですが、かえってそれがキリストを知るという特権にあずかることとなったのは主の恵みです。なぜなら、イエスさまが私に何をなしてくださったのか、身をもって体験したからです。主は「捕われ人に解放を、囚人には釈放を」(イザヤ書61章1節)告げてくださいました。
 霊の世界は契約の世界です。妄想上の人と私は契約の下にありました。神に捨てられた者同士、決して互いを裏切らないと誓い合っていたのです。
 しかし、私は主の恵みによって救いにあずかりました。すると妄想の人は昔の契約を持ち出し、私に命を求めてきました。
 考えすぎだ、友人は皆そう言いました。しかし、たった1人、牧師さんだけが、事の深刻さを理解してくださいました。
 牧師さんは興味深い話をしてくださいました。霊の世界はギブ・アンド・テークで、霊から益を受けたなら見返りは求められる。その代価が命なら、死ななければならない。だから自殺を思うのはもっともだ。しかしね、それはね、北野さんの命でなくてもいいんだよ。敵(サタン)は命でありさえすれば、誰の命でもいいんだ。イエス・キリストはそのために十字架で死んでくださいました!
 この瞬間、私は全てがふに落ちたのです。イエスさまは救い主です。私の死ぬべき負債をご自身のからだによって贖ってくださいました。その尊き犠牲により、古い契約は無効になり、神の救いは完成しました。
 私は、神の子として新しい契約を結びました。そして完全な解放を受け、今に至ります。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年11月15日号(第858号)より転載—

2015年11月8日日曜日

霊の世界
 知らないということは恐ろしいことで、子どものころ、よく「こっくりさん」をして遊びました。また、占いが大好きでタロットやカードに夢中になり、霊の世界に深く踏み込んでいました。催眠術をかけるということもあり、1人の女の子が頭に手を置いたまま動けなくなってしまいました。この事は小学校の職員会議にまでのぼって厳重な注意を受けました。
 私の家系は、代々口寄せや霊媒に親しんできたので、私も自然に霊的なものに深入りしました。しかし、それらは後にさまざまな病の発症に至らせました。特に精神の病のあるものは、こういった悪霊の関与によるものが予想以上に多いのです。どうすればよいのでしょうか。
 ヨハネの手紙第一4章では次のように書かれています。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい(中略)イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません」(1、3節)
 霊は神からのものと、悪霊から来るものと二つがあり、イエスを告白しない霊はみなサタンから来たものです。
 サタンは私たちを憎んでいます。やがて滅ぼされるサタンは、1人でも多くの人を自分と同じ滅びに追いやろうと働いているのです。しかし、案ずるには及びません。同3章8節には「神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです」と書かれています。
 イエスさまは、あなたをサタンから取り戻すために世に来られました。あのカルバリで十字架にかかって死んでくださったのは、私たちを贖うためです。それ故、神の元に立ち返りましょう。神は私たちを御子の自由の中に入れてくださいます。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年11月8日号(第857号)より転載—