2021年11月3日水曜日

神の慰め 

 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます」これは、コリント人への手紙第二14節にあることばであって、私たちへの神の約束です。まもなく還暦を控える自分の人生を顧みると、一度や二度ならず深い苦しみの時があり、挫折し倒れたこともありました。

 多くの方は、神に関して厳しい方というイメージを持っていますが、それは私たちの罪に対する神の神性、そして、その神の聖さに対する私たちの罪に対する自覚がそうさせるのであって、神さまご自身は慈愛の父、慰めの神であり、変わりないお方です。また、神は聖であり義なる方であるため、生まれながらに原罪を持つ罪人である人間とは相交わることはできません。なので、私たちがいつでも神に帰ってくることができるよう、神は罪人が神に立ち返るご計画を立て、私たちに御子イエスさまを下さいました。イエスさまは私たちの赦しのために、およそ、2千年前、一度世に来られ、十字架で私たち人類のすべての罪を担い、死んで下さり、三日目によみがえり、贖いを成し遂げてくださいました。ここに、神のご愛は十字架という形に結実し、私たちの「救い」が決定したのです。

 神は私たちを愛しておられます。私たちには苦しみが許されることがありますが、その苦しみの中で、私たちを愛してくださるのも、また神でした。神は、幾度となく慈愛の父、慰めの神となってくださり、私を庇い、敵の前でご愛を注いでくださいました。

 それ故分かります。この方が、裁きをするなら、その裁きは正しいのです。この方のご愛は、律法以上に働き、罪を超え、どんな罪人であっても、悔い改めるよう働きます。そして悔い改めの実を結ばせると、今度は私たちを慰めてくださるのです。罪の赦しは、想像を超えるような大罪を犯していても、些細な罪であっても、どのような時であっても、神が私たちの避け所であって、私たちの罪のために流された御子イエスの血は全ての罪を赦し清めます。

 さて、イエスさまのご愛に関してマタイの福音書1220節にはこう書いてあります。「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」というものです。彼とはイエスさまであり、そのご愛は慰めに満ちています。そして忍耐のある愛だと言えるでしょう。いたんだ葦とは、折れかけている葦で、くすぶる燈心は、今にも消えそうな明かりです。しかし決して、その葦も燈心も消し去られることはありません。イエスさまが、守ってくださるのです。

 イエスさまの慰めは私たちに満ち満ちています。イザヤ書5112節では「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは何者なのか。死ななければならない人間を恐れるとは」、と書かれています。私たちを慰めてくださるのは神ご自身です。私たちが試練、困難の中にある時、神は確かに人の世にはないようなご自身の深い慰めを注いでくださいます。そして、人の知られない所にその慰めは届き、私たちの苦しみは祝福へと変えられるのです。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年11月3日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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