2021年11月16日火曜日

 宗教

 私は、宗教が大嫌いでした。本当に嫌いです。しかし、元から嫌いであったわけではありません。むしろ好きなほうで、いろいろな本を読み、信心は持ち合わせていた方です。中学生の時には母の代理で、ある宗教の総本山に行きました。

 その総本山に行ったことを機に、「鰯の頭も信心から」ということわざから、信じる対象は何でもいいわけだから、思い切ってこれを信じてみようと決め、タスキを掛けました。そして教えられた通り朝夕のお勤めをして信徒になりました。しかし、その姿を叔母に目撃されてしまい、真夜中に父が怒りに燃えてやって来て、私を起こし拳で打ちました。

 これは魂に大きな傷を残した出来事で、これを最後に私は、ありとあらゆる宗教を嫌うようになりました。また、宗教に対して疑問も感じていました。信仰にお金が絡んでくることです。1人につきいくらという供養料を払うようになっていて出費や負担が大きいのです。人の弱みを食い物としているように見え、こんな宗教とは一生関わりたくないと思いました。その宗教ばかりでなくすべての宗教を封印し、一生無宗教で生きよう、と堅く決心しました。

 このように私は宗教嫌いを誓っていたのですが、その後、青天の霹靂で、何と私はクリスチャンに、宗教家に、なったのです。キリスト教の牧師である夫の妻として、今に至るまで三十数年間を神の教会で神に仕えて過ごしました。この展開は人生の不思議さを表し、頂いた救いは神さまの深い恵みです。18歳になった時、神は人手によることなく私を新しくしてくださり、私はイエス・キリストを救い主として信じました。お金で買えない真の救いに与り、この出会いに背かずこの道に進みました。

 今、私の回りにいる人々は、子育てを終え、老親や伴侶を天に送り、自分の時間ができた人が多いように思います。人生の完成を考える年頃であり、再び宗教を考える時に来ています。知人たちは、宗教に関心を持っています。教会にも来ますが、いろいろな宗教にも足を向けています。何かに祈りたいという気持ちや、近づく死に対して、備えや確信を得たいと願ってのことでしょう。

 人には宗教は必要でしょうか。かつてはノーと言いましたが、今は人と宗教は分かつことのできない関係であるというのが私の確信です。伝道者の書511節には「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」と書かれています。人は生まれながらに神を求め、永遠を求めるよう造られているのです。また、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(同12章1節)とも書かれています。

 それ故、どうかあなたの救いの達成につとめてください。今がその時です。世界は未曽有の患難に突入しようとしています。あなたは今、神を知ったかもしれません。しかし、神は世が始まる前から、あなたを知っておられ、あなたとあなたの人生を用意してくださいました。イエス・キリストを下さった御神の愛こそ私たちの住まいです。神の元に帰りましょう。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年11月16日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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