2024年10月30日水曜日

 認知症

 一昔前には「痴呆」と呼ばれていた老年期の衰えを、最近は「認知症」と呼び、国を挙げてその取り組みがなされるようになってきました。以前は還暦を迎えると、第一線から退き余生を楽しむご隠居さんになるのが常でした。けれども、今は60歳が仕事に新規採用されるという時代です。70歳を超えてなお第一線で仕事をしている人も珍しくありません。瀬戸内寂聴さんは99歳まで、日野原重明医師は105歳まで生き、最後まで現役で活躍されました。還暦を越えてさらに約40年の年月を壮健に生き、なおかつ仕事を続けられたのです。これは特筆すべき快挙であると思います。

 医学の進歩とともに、老年期は相当長いものになりました。そして、人生の幕引きをどうするかという、今までにはなかった課題が出てきています。昔と違い簡単には死ねない時代になったのです。

 私には、86歳になる母がいます。神に守られ長寿の恵みにあずかっており、衰えたとはいえ、まだかくしゃくとしています。けれども最近、何かの拍子に「あれっ?」と小さな物忘れをすることがあるようです。さすがに「認知症」ではないようですが、これから老いと向かい合うことが増えてくるだろうと思います。

 「認知症」は、回復が難しい進行してゆく病気です。Aさんは「認知症」の奥さんとともに生活されています。奥さんはご飯を食べ終わったばかりなのに、「そろそろ食事にしようか」と言うのだそうです。今したことを、もう忘れています。「まいっちゃうよ」とAさんは苦笑しておられました。今は、「認知症」を予防する薬はありますが、発症した「認知症」を治療する薬はありません。当人が何をするか分からないので片時も目が離せません。しかも、今の長寿社会では往々にして老老介護になるので、看る人の負担も決して小さくありません。

 「認知症」は人間の尊厳にかかわる病気だと思います。程度にもよりますが「認知症」になったら、脳の老化で、持っていた記憶をどんどん失っていきます。その人にとってどれほど大切な情報であっても、だんだんそれを理解することが困難になってきます。症状がひどくなると、自分自身に関しても、自分が何者なのかということさえも忘れてしまいます。それでも、天に召されるその時まで、忍耐を持って生き続けてゆかなければならないのです。誰に自分を任せばよいのか。また、自分のこともいつまで自分で覚えていられるのか。こんな不安とも戦っているのです。そしてついにはそのことも忘れてしまい、「恍惚(こうこつ)の人」になります。こういった病気です。ただ、どんな状態になってもイエスさまは私を守ってくださる、こう信じることがそれらの人の慰めとなり、心のよりどころとなり、ひいては治療ともなります。

 この中で求められるものは、神への信頼です。全能なるお方は、昨日も今日もいつまでも同じです。私たちのことを常に変わらず愛してくださっています。イザヤ書46章にはこんな記述があります。「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(3、4節)

 神の愛は実に深いのです。神は決して私たちを捨てたりはしません。胎内にいる時からしらがになった今に至るまで、神はずっと私たちを背負ってきてくださいました。そして、これから先も救い出してくださると約束してくださっているのです。たとえ「認知症」を患う事態になったとしても、変わらぬ神は変わらぬ愛を注いでくださいます。恐れに変えて平安を下さり、お約束通りすべてを益にしてくださいます。時には苦しみがあるでしょうが、その中で私たちは神さまとその助けを今まで以上に見ていくでしょう。神さまから頂いた私たちの人生です。死に至るまで主を信頼し、地上での一時(いっとき)の生涯を全うしていきましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月30日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月23日水曜日

 試練を受けるコツ

 聖書の使徒の働き21章を読むたびに、手に汗を握る思いを致します。パウロのことですが、ユダヤ人に受け入れられるために、あなたが律法を守って正しく歩んでいることが分かるよう、ここにいる四人の誓願を立てている者たちと共に身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい、という提案がなされました。

 パウロはこれを受け入れ、清めの期間を終え、その7日間がほとんど終わろうとしていた時のことです。アジヤから来たユダヤ人たちがパウロが宮にいるのを見て、全群衆をあおりたて、パウロに手をかけ叫びました。「この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています」。これを聞くと町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕え、宮の外へ引きずり出し、ただちに宮の門が閉じられました。

 アジヤから来たユダヤ人は、エペソ人トロピモが町でパウロと一緒にいるのを見かけたので、てっきりパウロがこの異邦人を神聖な宮に入れたと誤解したのです。もうあとわずかで、すべてうまくいくというところで、よりによってこんな事件が起こったのです。皆さんにもこんな経験ありませんか。

 教会のある海外宣教チームで起きたことです。飛行機がトルコでトランジットのために着陸すると、そのタイミングで、クーデターが起こりました。大統領が「同志よ。空港に集まれ」と呼びかけたものですから、まさに飛行場はクーデターの舞台となってしまいました。あと少し時間がずれてさえいれば、何も問題なくトランジットを終え成田に飛び立ったか、あるいはトルコに着陸することなく安全な空港へと行先を変えたことでしょう。なのになぜこんな状況に置かれたのか? 私には分かりません。でも、神さまは、こういうことをあえてなされるのです。

 ある時A牧師は、K国の宣教のために空港に向かっていました。ところが途中で、パスポートや現金、チケットの入った鞄を電車に置き忘れてしまいました。つまり渡航できなくなったのです。すぐさま感謝をささげておられましたが、当人にとってはショックだったと思います。けれども、感謝をささげたあたりから、神の手が動き始めます。常識では見つからないはずの鞄が見つかり、しかもパスポートも現金も無事でした。飛行機のチケットも無料で翌日に変更してもらえ、結局1日遅れでK国に着きました。そして、試しがありました。神が「今リコンファームに行きなさい」と語られたのです。それでそう言うと、「まずホテルに行きましょう」と返され、ついにはけんかも辞さない勢いで「リコンファームに行ってください」と言い、押しました。そして、手続き先のホテルで、長い協力関係となるB牧師に出会うのです。それは、まさに神のタイミングでした。

 考えてみれば、起こった事すべてはこのB牧師と出会うことへのサタンの妨害と読むことができるでしょう。であればこれは圧倒的な勝利です。確かに、到着は1日遅れました。しかし、このチームにおける神のみこころはすべて果たし終えたのです。問題が起こった時には取り返しのつかない失敗のように見えました。けれども、脱出の道が用意されすべては益となったのです。

 このように、神さまはあえてあと少しというタイミングで、私たちを困難や試練に落とされることがあります。必ずしもその理由が理解できるとは限りません。それゆえ、試練を上手に受けるコツをお分かちしましょう。それは悪いと思われる出来事を徹底して感謝することです。試練や失敗は祝福の前触れだと信仰に立つことが一番の対処法です。気落ちしてはなりません。すべての道に「神の計画」があるのです。試練を正しく乗り越えれば次の段階が来ます。問題の中にこそ奇跡的な神の介入があるのです。神はそれらを用い、ご栄光を現してくださいます。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブの手紙1章2節)

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月23日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月17日木曜日

『時』について思うこと

 幼い頃、浦島太郎のお話をよく聞かせてもらいました。ご存じの方も多いと思います。浦島太郎が砂浜で子どもたちに乱暴されていた亀を助けたところ、恩返しに亀に連れられ竜宮城に行きました。そこでは、乙姫さまがいて、盛大な祝宴が設けられました。それはもう楽しくてあっという間に3年の月日が過ぎました。ある日、両親のことを夢で見た太郎は家へ帰ることを決意します。別れ際、乙姫様は太郎に玉手箱を渡し言います。「決してこの箱を開けてはなりません。人間の一番大事な宝が入っていますから」

 浦島太郎が、帰ってみると何と300年の年月がたっていました。さみしさのあまり、太郎は開けてはならないその玉手箱を開けてしまいます。一番大事な宝、それは寿命だったのです。玉手箱から立ち昇る煙の中で太郎は瞬く間に白髪の老人となってしまいました。

 幼い頃は、その結末がとにかく恐ろしかったです。竜宮城での3年が、人間社会では300年もたっていたというタイムラグの話に、それまで経験しなかったような怖さを覚えました。浦島太郎の話はあくまでも物語です。しかし、これは実際あり得ることだそうです。アインシュタインの特殊相対性理論は、これを証明しているとも言われています。同じ「時間」であっても速度というのはどこで観測するかによって変わります。しかし、光は例外でどの立場で観測しても光の速度は「光速度不変の原理」で同じだそうです。それゆえ、私たちの移動速度が光速に近づけば近づくほど私たちに流れる時間は遅くなるというのです。これを「時間の相対性」と呼ぶそうです。

 「時」とは、何と壮大なものでしょう。「時」は神さまのもの、神さまと切り離せないものです。過去、現在、未来と「時」は一方通行で流れていきます。戻ることも、立ち止まることもできません。神さまが「時」を終わらせない限り、「時」はどこまでも進行し続けます。そして、時を知ることは神を知ることにつながります。ソロモンの伝道者の書3章1節には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」と書かれています。また、同11節では「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」とも記されています。

 私は「時」は強力な「力」であると思っています。というのも「時」が来れば、どんなに変わるまいと思っていたことさえも変わるからです。かつてドイツは二つに分かれ「ベルリンの壁」がそれを仕切っていました。東ドイツはソ連をバックにした社会主義国に、西ドイツは米英仏などとともに資本主義国にと、一国が壁を隔てて二つに分断されていました。この壁がなくなることは絶望的だと多くの人が思っていました。けれども1989年11月9日、この壁は崩れました。神の「時」が来たのです。

 また、ソ連も社会主義国でしたが、ゴルバチョフ政権のもと、1991年12月24日に、ソ連は崩壊し、その名もロシアに戻りました。人の目には遅いと見えても、神の時は必ずやってくるのです。また、大きな事ばかりではなく、個人においても、立ち直れないほどつらいことがあっても、「時」がその人をいやすことを数多く見てきました。

 神さまは問題を通して、私たちに永遠への思いを与えてくださるのです。問題があったというのは、何かが悪いというのではなく、神を見出すために神が置いておられるものなのです。確かに神の「時」を待つには非常な忍耐が必要です。けれども必ず「時」は来ます。そして、やがてはすべて過ぎ去っていきます。ペテロの手紙第二3章8節には「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」と書かれています。全能なる神は、時を支配されるお方です。私たちは、私たちの目をこのお方に向けましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月17日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月9日水曜日

 サタンに勝利するには

 サタン(悪魔)とは、「神の敵」を意味する言葉です。サタンは神の働きを妨害してきます。ローマ人への手紙1章13節で、パウロは神のみこころと確認して、ローマに行こうと何度もトライしたにもかかわらず、サタンがそれを妨げたということが書かれています。神のみこころが大きければ大きいほどサタンもまたそうさせまいと強く働きます。21世紀の今でもこれは同様です。サタンは無害な空想上の存在ではなく、現実の存在です。神の計画をつぶそうと今も昔も働く残虐な人殺しです。そして、自分を隠して動くので、サタンなんていないと多くの人がだまされています。

 クリスチャンになったばかりの頃、私はサタンにどう対応していけばよいのか分からず、またサタンを恐れていました。おかげで私は好き放題サタンに翻弄されていました。しかし、ある時、韓国から来られた崔子実牧師の一言で認識が変わりました。崔先生は「サタンは気のふれた野良犬と思いなさい」。まずこうおっしゃいました。

 気のふれた野良犬の前に玄関を開くなんて馬鹿なことはおよしなさい。開けてしまうと勝手に上がり込んで、家中を荒らしたいだけ荒らすから、犬には命じなさい。去れ!と𠮟りつけ、家から去るよう命じなさい。

 その話を聞いてから私は変わりました。私なりにふに落ちたのです。サタンは狂犬で、そんなものをまともに受け入れたら馬鹿を見ます。狂犬なら狂犬に対する扱いをするのが正しいのです。そして思い出しました。イエス・キリストを信じ救われた私は、イエスさまの御名を頂いています。主の御名には権威があります。私たちが御名によって命じるなら、サタンはそれに従わなければなりません。私たちの後ろにはイエスさまがいるのです。

 また、神さまとサタンの関係は同列ではなく、神さまは創造主でありサタンは被造物です。両者には、絶対的な開きがあります。いくらサタンといえども神の許しなくしては、何もすることができないのです。ましてや神は「試練とともに脱出の道も備えてくださ」る愛なるお方です。私たちを「耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません」(コリント人への手紙第一10章13節)。たとえ苦しみを受けることがあっても、クリスチャンは神さまによって、守られているのです。

 ヤコブの手紙4章7節にはこのように書かれています。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」

 サタンとありのままの私たちでは、サタンのほうが能力があるでしょう。知恵比べでは、私たちよりサタンが上をいっていると思います。それゆえ私たちの知恵で、サタンに勝とうとしても負けます。ですから、「神に聞き従う」ことを聖書は言っているのです。御声に聞き従うなら、その戦いはあなた自身の戦いから神の戦いに変わるのです。私たちが神が言った通りを行うからです。起こってくる問題や試練を恐れることは分かります。しかし、敵(サタン)に背を見せることだけは、決してあってはなりません。

 立ち向かうのです。これが答えです。逃げると犬はいよいよ大胆になって追いかけてきます。しかし、きびすを返して立ち向かうなら犬は逃げ去って行きます。イエス・キリストによって私たちは今既に勝利者です。神に従いサタンに勝利しましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月9日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月2日水曜日

マルタとマリヤ

 イエスさまが愛された二人の姉妹がいます。姉の名はマルタ、妹はマリヤといいます。姉妹といっても、性格は全然違います。正反対な性質を持っていました。

 ルカの福音書にその一部始終が書かれています(10章38~42節)。イエスさまご一行がある村に入ると、マルタは喜んで家にお迎えしました。そして、あれこれともてなし始めたのです。料理はもちろんのこと、飲み物を用意したり、足を洗うための水も備える必要があったでしょう。それはもう、猫の手も借りたいほどの忙しさであったのです。

 一方、妹のマリヤは何をしていたかというと、主イエスの足元にすわって、じっとみことばに聞き入っていたのです。こんなに忙しいのに、手伝いもしないで何やってるの!マルタは、頭に来ました。いろいろとおもてなしのために気が落ち着かなかった、と聖書には書かれています。憤ったマルタは、ついにイエスさまに苦情を申し上げました。

 「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください」

 それに対してイエスさまはこう語るのです。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません」

 人をもし、マルタタイプとマリアタイプと二つに分けるとしたら、私は間違いなくマルタタイプです。だから、マルタの気持ち、よく分かります。彼女は善意でやっているのです。あれもして差し上げたい、これもしたい、と次々とやりたいことが噴出してくるのです。そしてそのすべてを行おうと、全力で奮闘しているのです。

 イエスさまは、その彼女の気持ちを十分ご存じです。喜んでくださっているでしょう。でも、ここでイエスさまは、大切なことを語らなければなりませんでした。それは「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」ということです。その一つとは、マリヤがしていた「主の足元にすわってみことばに聞き入る」ことなのです。神のことばに聞くことこそ、どうしても必要なただ一つのことなのです。

 第一サムエル記15章22節にこのように書かれています。「主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、御羊の脂肪にまさる」

 主の御声に聞き従うこと、これに勝るものはないのです。それゆえ、マリヤがみことばに聞き入っていることを取り上げてはならないと主イエスは語られたのです。

 人は自身で多くの計画を持つ者です。そして、それを成し遂げたい、と本能のように強く持っています。忙しくしていてもそれは必ずしも神の計画を行っているとは言えないのです。実は、自分の心を行っているのです。厳しい見方をすれば、マルタはおもてなしにあたって、善意からとはいえ自分の計画を成し遂げようとしていたのです。それに対してイエスのことばに耳を傾けたのがマリヤであったのです。

 祈りのうちに神の御前に神のことばを待つ、これはとても大切です。祈りの中でさえ私たちは一方的に自分が良かれと思った自分の願望を訴えていることがよくあります。これは否定されるものではありませんが、さらに優れた道として、今日、主の御前に静まりましょう。あなたのしたいことを置いて、主が何とおっしゃっておられるのか、神の声を聞きましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/