2022年7月8日金曜日

信仰が動くとき

  最近、教会において、いやしの働きが進んできています。病のいやしは以前からもなかったわけではありませんが、ごく一部でした。それが今、大きな働きへと様変わりしつつあります。最初は日和見を決め込んでいても、次々といやしが起こるのを目の当たりにするうちに、ひょっとしたら私もいやされるかもしれないと、急に手のひらほどの期待する思いが生まれるのです。そして、その期待こそ信仰であり、神はそれを用いて、いやしを働かせてくださいます。こうして、人々が次々といやされ始めています。

 聖書の中には、イエスさまによる病のいやしがたくさん記録されています。しかも、その方法は多岐に渡ります。つばきをして患部に手を当てられたり、抱いていやされたり、手を置いたり、言葉をくださったり、また、せめてイエスの着物の端にでも触らせてくださるようにと願った者たちも、全員がいやされました。

 病がいやされ、神に感謝しているその中で、イエスさまが一人一人によくかけておられたのは「あなたの信仰が、あなたを直したのです」というお言葉です。お着物に触ることでもできればきっといやされる、そう信じた長血の女においても、ツァラアトをいやしていただいたサマリヤ人においても、また、盲人バルテマイにおいても、いやされることを期待した彼らに、いやしは起こりました。彼らは、神をあがめ感謝を捧げましたが、イエスさまは、「あなたの信仰があなたを直したのです」と語り、慈しんでくださいました。

 興味深いのは、イエスさまが彼らにかけた「あなたの信仰があなたを直した」という言葉です。これはどういうものでしょうか。イエスさまのいやしは、信仰に働くいやしです。だからこそ、信仰が直したと書かれているのであって、彼らは全員いやされたいという強い願いを持っていました。そして、あのイエスさまなら、イエスさまだったら、きっと私の願いを叶えてくださる、こういった思いが、徐々に彼らのうちで確信となっていったのです。そして信仰の目盛りが満ちると、主は彼らをいやしてくださいました。だから、信仰が直したというのです。

 信仰といやしは密接な関係にあります。信仰が動く時、いやしが起こります。ヤコブの手紙5章には「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます」という言葉があります。私たちが信仰を用いる時、イエスさまの力が働き、いやしが起こります。それゆえ信仰に富む者になりましょう。

 マルコの福音書1027節には、「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです」と書かれています。信仰を働かせる時、すべては神にゆだねられます。神はどんなことでもできます。それゆえ信仰を働かせましょう。信仰が動く時、そこに奇跡が起こることを信じ期待してまいりましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年7月8日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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