2022年7月1日金曜日

居場所

  今でも鮮明に覚えています。それは4歳くらいの私だったと思います。朝早く目が覚め、突然寂しさが襲ってきました。すすり泣くうちに母が起きてきて、どうしたのと優しく問いかけてくれました。お父さんお母さんはいい。ずっと一緒にいられるから。でも希世子はひとりぼっちなんだよ。そう言ってまた孤独を感じ、さめざめと泣きました。幼子にも孤独を感じる心があるなんて、体験するまで思いもよりませんでした。しかし孤独は、人のたましいの根幹に深く根差す感情で、老いも若きも関係ないもののようです。幼児でも心の闇は存在し、救いを必要とする一つのたましいであるのです。

 M教会のA牧師は、よく説教で孤独を語りました。皆さん、孤独というのは釣り堀で1人釣り糸を垂れているもののように見えますが、それは孤独の姿ではありません。それは娯楽で、本当の孤独はむしろ満員電車の中にあるのですよ。物理的に人は近くにいるのにとても遠い、それが孤独ですとおっしゃいました。

 その通りかもしれません。自分の中で孤独が募ると、その先に見えてきたのは、居場所を求める気持ちです。自分は受け取られているのだと分かる自分の居場所が欲しいのです。散々悩んだ末に、ついに私は聖書の中にそれを見出しました。

 ヨハネの福音書14章でイエスさまはお弟子たちにこう言いました。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(13節)

 この一文は、天に帰るイエスさまがお弟子たちに約束された励ましのことば・約束です。この世におけるイエスさまの使命は、十字架による死と復活とによって私たち全人類の罪をあがなうことにありました。いよいよその時が近づいたのを知られたイエスさまは、ご自分のものである弟子たちに愛を示され、前もって彼らの前に約束された彼らの居場所、すなわち天の御国について語ってくださったのです。

 天国こそ、私たちの究極の取り分であり居場所です。天国は永遠の故郷であり、そこで私たちはいつまでも主とともにいることができます。天国では孤独を覚えることはありません。むしろ、喜びや希望があるのです。そしてこの恵みは、お弟子たちだけでなく、彼らを通して主を信じる私たちにも適用されます。主イエスを信じる私たちは、やがては天の御国に迎え入れられます。神は既にわたしたちの居場所を用意してくださっています。神さまは、それほどまでに私たちのことを愛しておられるのです。

 イエス・キリストの十字架の贖いを信じましょう。主こそ私たちの居場所です。 あなたもイエス・キリストを信じ、この居場所を、天の御国をお受けください。

MIKOE NEWSから転載」 2022年7月1日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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