2022年8月25日木曜日

救い 

 私は18歳の時にイエスさまを信じ救われました。両親のもとで養われていましたので、信仰を持つことは戦いでした。特に父が強く反対し、信仰を捨てるようあの手この手で説得され、遂には勘当を言い渡されました。

 しかし、今思えばそれは大きな恵みであったのです。試練艱難(かんなん)を経なければ、信仰は本物になりません。聖書でも、岩地に蒔かれた種は地が硬いので十分に根を張らない。だからすぐに喜んで受けるが、ひとたびみことばのための困難や迫害が起こると、根が無いのでいとも簡単につまずいてしまうと指摘されています(マルコの福音書4章参照)。

 反対されたからこそ、この信仰に固く立つ確信をいただいたのです。これがあったからこそ強い根を張ることができたのです。そして時は満ち、父も救われ、私の家は不可能だと思われた夢のクリスチャンホームになりました。私の思いよりはるかに高い、神の最善がなされていたのです。

 このような恵みにあずかっているのは、ひとえにイエスさまのおかげです。イエスさまは呪いを祝福に変えてくださいました。どのようにしてでしょうか。それは、十字架によるのです。

 聖書には、義人はいない、1人もいない、と書かれています。その通り、私たちは例外なく生まれながらの罪人(つみびと)です。怒りを受けるべき罪人(ざいにん)です。誕生していくばくかの人生を生き、やがては罪の中に死んでいく、はかない存在です。けれども驚くことに、父なる神のご愛と憐れみは、罪過の中に死んだ私たちを死から取り返すものであったのです。そしてそのためには、贖いが必要でした。そこで神は、御子イエスを世に遣わしてくださったのです。

 イエスさまは、実在のお方です。およそ2000年前、世に来られました。神であられる方ですが、受肉され、人として来られました。その卑しさをものとはされず、公生涯の中で、貧しい人に寄り添い、癒しをなし、神の国のことを教え、多くのしるしをなさいました。イエスさまは、人類に対する約束のメシア(救い主)として来られたのです。

 神は、御子を信じる者に救いを与え、永遠の命をお与えになられました。イエスさまは人とは違い、1つも罪のないお方でした。それでイエスさまは、私たちのすべての罪を代わりに担って、十字架で死なれたのです。ここに贖いが成し遂げられ、イエスさまはあらかじめ語っておられた通り3日目に復活されました。

 ローマ人への手紙109節には、このように書かれています。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」

 それ故、このことばを信じ、このことば通りにイエスを主として告白し、福音を信じましょう。これこそ神が下さる救いであり、ただ信じるだけで誰であっても受けることができるのです。

MIKOE NEWSから転載」 2022年8月25日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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