2022年8月11日木曜日

聖書

  聖書は、地球上で1番読まれている書物であり、多くの民族のことばに訳されています。創世記11節の「初めに、神が天と地を創造した」から、黙示録に書かれている「新天新地」に至るまで、罪と贖いを基調として、すべてこれから起こることなどが前もって書き記されています。

 神学的に言えば、「聖書」はその原典において誤りなき神のことばです。海外の教会では、聖書を愛する者たちが、表現として、巻物となっている聖書に触れたり、口づけしたりして愛を示すこともあります。

 そこまではしなくても、多くの人が日々聖書に触れ、いのちのことばとしてこれを受け、養われています。「聖書」のことばについて聖書は、次のように語っています。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(テモテへの手紙第二316節)というもので、私たちは聖書を通して神のことばを受けますし、聖書を読むことによって、確かに神とそのことばに養われます。

 聖書は神のことばであり、そのこと故に権威ある書物です。マタイの福音書26章で、イエスさまがユダの手引きによって引き渡されようとした時、ペテロは大祭司のしもべに撃ってかかり、耳を切り落としました。その時、イエスさまは言います。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。(中略)だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう」(52節)「すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです」(56節)

 この個所から、イエスさまご自身、聖書を尊んでおられることが伺い知れます。少なくとも神のことばを1つとして落とすまい、という姿勢で応じておられることが分かります。聖書や神のことばは必ずそうなるものであり、またそうしてゆくべきものである、というのがイエスさまの立ち位置です。

 同8章には、百人隊長が痛風病みのしもべのいやしをイエスに願ったことが記されています。イエスさまは「行って、治してあげよう」と言います。しかし百人隊長は「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから」と答えました。イエスさまに権威があることを知り、おことばさえいただけばそれが力をもって現実を変えることを百人隊長は知っていたのです。

 神のことばには権威があり、また力があります。神のことばは現実で、必ずそのことば通りになります。何を信じるかと言えば、このことばを信じるのです。神のことばは、1つとして地に落とされることがありません。それどころか、むしろことばが成就するようあえて信仰に立って踏み込むことさえ求められます。イエスさまもそうされました。こうならなければならないと書かれた聖書のことばがその通りになるため、イエスさまもまた、聖書を重んじ、私たちに見本を示されたことを知ってください。

MIKOE NEWSから転載」 2022年8月11日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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