2022年2月6日日曜日

お金の話

 人が、一人前の大人として認められるその規準は、金銭を正しく取り扱うことができるという点にあると私は思います。それ程にまでお金の問題は、私たちに密接に関わってくる日々の課題であり、現実のものでありながらも極めて霊的なものであって、暴れた馬を乗りこなすような扱いにくさがあります。

 史上最高のお金持ちであったのはソロモン王です。しかしながら、伝道者の書でソロモンは「金銭を愛する者は金銭に満足しないこれもまた、むなしい」(210節)ということばを残しています。その通りで、富の追求は天井知らずで、もう十分ですとは決して言いません。そして、このゴールのない追求は心を病ませる一方で、落ち着くところがないのです。最も金銭を祝福されたソロモンでさえ金銭の追求が虚しいのなら、私たちの虚しさはなおさらです。

 良しにつけ悪しきにつけ、お金は人を変えてしまいます。お金があったことが、良いのか悪いのか判断できないケースは少なくありません。福音書によると、ある裕福な青年が、イエスに永遠のいのちを得るためには自分は何をすればよいかと尋ねました。イエスが律法を守ることを語ると、青年は、「そのようなことをみな幼い頃から守っています」と答えました。すると、イエスは彼をいつくしんでいわれました。「持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります.そのうえで、わたしについて来なさい」すると青年は、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去りました。この人は多くの財産を持っていたからである、と聖書は書いています。

 一般に、お金がある人は目減りを嫌い極力使おうとしません。しかしお金がない人は、返って使うことに大胆で、思わぬ祝福を受けることがあります。ですから、どちらかというと富やお金は必要以上に持たないのが幸いなのかもしれません。イエスさまもまた、去って行く裕福な青年を見て、「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」とおっしゃいました。なまじ富を持っていたがために、青年はイエスに従えなかったのです。これは私たちへの警告です。果たして青年は、自分が最も大切なものを失ってしまったことに気付いていたでしょうか。

 お金の誘惑によって、人生を棒に振ってしまった人は大勢います。金銭を愛する者は金銭に満足しません。ですからお金の問題を正しく治めることができる人は、人生の成功者、社会における成人と呼んでもよいでしょう。そして、それには神の助けが必要なのです。

 お金に慣れてしまって恐ろしいことは、お金でしか動かない者になることです。何でもお金に換算してお金で動くようになることです。富は人を高ぶらせ、不正の利を追求させます。自分が損することは絶対やらない、そうなってしまったら最後、神が与えようとしている恵みや祝福を決して受けることができません。往々にして、損だと思えることの背後にこそ、神の恵みは隠されているからです。

 それ故、神を恐れましょう。そして、神が与えてくださるすべてのものを感謝し、神の子とされたことをまず、喜びましょう。なぜなら、神を持つ者はすべてを持っているからです。

MIKOE NEWSから転載」 2022年2月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 


 

0 件のコメント:

コメントを投稿