2022年2月23日水曜日

祈りは聞かれる

  18歳の時に私は、イエス・キリストを救い主として信じ救われました。それから約40年、クリスチャンになって祈りが効かれたことは数知れず、多くの奇跡を見、いかに神が現実に働かれるかを知りました。そしてそれらは私の人生を間違いなく一変させました。

 祈りですが、事の起こりは教会の牧師の証しによります。牧師は、ある韓国人クリスチャンから、祈りが聞かれるという証を聞いて、早速ご自分でも祈ってみたそうです。ちょうど、教会に赴任したばかりで、机が必要なのでこれを神さまに求めることにしました。証しの中で、例を挙げて具体的に祈るのがよいとアドバイスされていたので、具体的に祈ったそうです。グレーの事務机が良いです。引き出しを開けるとググっと音がして、ファイルをそのまま仕舞える深い引き出しがついているもの、さらに椅子には滑車がついていて動きやすく、と具体的に条件を挙げて求めました。

 そして月日は流れ、そのことを祈ったことも忘れかけたある日、引っ越される方が一階から牧師を呼びました。「机、いりませんか? 2つあるのですが」そこで牧師は「良い方を置いていって」と答えました。そしてしばらくしてから下に降りていくと、何と祈った通りの事務机がそこにあったのです。

 これを聞いて私は奮起しました。救われたばかりの私でも神さまは祈りに応えてくださるだろうか。この一点が気になりましたが、私もこのような神の現実に与りたいと強く願ったので、祈ってみることにしました。ちょうど、教会に通うために自転車が必要になったので、自転車が与えられるよう求めることにしました。主にはこう申し上げました。自転車もほしいですがそれ以上に祈りに応えられるあなたを知りたいのです。祈り求めたことは誰にも言いません。ただあなただけにより頼みます。あなたが生きて働かれることを教えてください。

 みこころにかなう祈りは聞かれる、というのが聖書の教えるところです。結果として私の祈りは、祈り忘れてしまった一つを除いてすべて答えられました。私が祈った自転車は、このようなものです。鍵が2カ所以上あること、ライトがついていること、かごは黒のメッシュで、変速ギアがついていて、ブランド品であること、小柄な私でも安全に乗れる小さめの自転車で、色はオレンジかそのあたりの色で、と思いつく限りの条件を差し出しました。果たしてこんな自転車あるでしょうか。

 しかし、サタンの働きを許してしまいました。実は私はふたごころであったのです。私は神に自転車を祈り求めながら同時に自転車をくれそうな友人に当たっていたのです。そしてついにある人から譲り受ける約束がつきました。教会には、リクエスト通りではなかったけれど自転車は与えられましたと報告するつもりでした。偽りです。そんな中、約束を取り付けた友人から突然電話がかかってきました。ごめん。実は自転車が盗難にあった。それであげられなくなったというのです。神だ、と思いました。申し訳なさそうな彼女の声を遠くに聴きながら、深く神を恐れました。そしてそこからは、悔い改めに次ぐ悔い改めです。

 そうこうするうちに、私の保証人の方に引っ越したことを伝えなさいという思いがやってきました。そこで、電話をかけると向こうからこう言ってきました。駅から遠くなるなら私の自転車使わないか? それを聞いた瞬間、分かりました。まだ見てはいないけれどもそれは間違いなく私の注文通りの自転車なのです。その通り、日曜日の夕方、やってきた自転車は祈ったすべての要件を満たしていました。唯一つ祈り忘れていた新品というリクエストは反映されていないものの、すべて祈った通りの奇跡の自転車でした。

 神は生きておられます。現代でも聖書の時代と同じように祈りは聞かれ、神の現実を体験します。あなたもまた、神の民となり、神のもとに帰りましょう。「祈って求めるものは何でも、既に受けたと信じなさい。そうすれば、その通りになります」(マルコの福音書1224節)

MIKOE NEWSから転載」 2022年2月23日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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