2021年8月11日水曜日

イエスの血潮

 イエスさまにはいろんな呼び名があります。ご自分のことを人の子と呼ばれましたし、黙示録では小羊あるいは神の小羊と書いてあります。小羊というのは、罪のために屠られた小羊の事で、イエスさまが生涯をかけて成し遂げられた十字架での贖いを意識した呼び方です。

 イエスさまの来臨以前すなわち旧約時代には、人々は、罪に関してモーセの律法に従って年ごとに罪の贖いのために小羊を屠りました。そこで流された血潮によって、罪は赦され贖いがなされたのです。しかし、動物の血は、人を完全に救うことができません、きよめることもできません。それ故、神は、時を定めて御子イエスさまを世に送ってくださったのです。イエスさまが受肉されこの世に来られたのは、ただ一度、永遠に私たちを贖うために十字架でご自分を罪のためのいけにえとしてささげ、死なれるためであったのです。そして罪の贖いを果たされると、イエスさまは3日目に死者の中からよみがえり、救いは完成しました。そのこと故に黙示録ではイエスさまのことを屠られた小羊、神の小羊、と呼ぶのです。

 十字架でイエスさまが流された血潮には、強力な力があります。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(ヨハネの手紙第一17節)と書かれているようにイエスの血潮には罪の赦しがあります。また、復活の力の先取りとして、主の血潮を通して私たちに病のいやしや悪霊からの解放がもたらされます。誰であれ、悔い改めて神に立ち返る者は例外なく永遠のいのちを受け、救われます。神さまはありのままの私たちを愛し、罪過の中で死んでいる私たちを憐れまれたのです。ここに私たちへの神の愛が現されました。

 今や神さまは私たちをイエスさまの十字架を通して見てくださっています。すなわち、あたかも罪を一つも犯したことのない者同様に私たちを見てくださり、一つも罪を犯していない者が受ける祝福を私たちに注いでくださっています。

 神は愛でありまた義なるお方です。神は私たちを愛してくださっています。しかし、神は聖なる方で、罪や世のものをはじいてしまうというという属性があります。神の義は罪と相容れることはできないのです。そこでイエス・キリストは、愛と義、この2つのものをご自身によって1つとなし、それは十字架の救いという形で結実しました。イエス・キリストを信じましょう。神は、私たちがご自身のもとに帰ることができるように、イエスの血潮を代価として私たちを買い戻してくださいました。こういう訳で私たちもまた、救いの達成につとめましょう。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年8月11日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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