2021年5月3日月曜日

原罪

  私には、生後半年になる孫娘がいます。新生児には他にはない可愛らしさがあります。全面的に私たちの手を借りないと生きていけない危うさが母性本能をくすぐりますし、生まれたばかりだとまだ人の嫌みなところが出てきていません。ミルク、オムツ、眠たいで催促して泣くくらいでしょうか。小さな天使と呼ばれるのもよく分かります。

 しかし、それもつかの間です。成長して行くうちに彼らの欲求はどんどん広がっていきます。自己主張をするようになり、時には憎まれ口さえたたきます。どんなに愛らしい子であっても、罪のない子はいません。人には、産まれながらに持ち合わせている原罪があるのです。

 昨年5月に、プロレスラーの木村花さんが若い命を絶たれました。ネット上で心無いバッシングがあったことが自殺の原因だと言われています。ネットだからと言って何をしてもいいわけではありません。現に、花さんは亡くなってしまいました。何が彼女を死に追い込んだのでしょう。集団になると個人とは違い、罪悪感も拡散されるので、人は残酷なことを平気でやってしまいます。これは、原罪の故になされる行いであり、人は、生まれながらの罪人であるということです。

 いじめというのも、人の罪の現れだと思います。天使のようだといわれる幼児の中にもすでにいじめは存在しますし、いい年の大人であっても差別や弱みにつけこんだいじめがあります。それは原罪と呼ぶ罪の根っこを生来私たちが持っているために起こるのです。

 子どもは愛らしい存在です。ですが、いざ罪が働くとそのいじめは大人以上にストレートで、陰湿かつ残忍になります。またそういう時にはサタンが好んで働きます。私も列に並んでいる時に、わざと体をぶつけたり、隠れた所で体をつねったりしている現場に出くわしたことがあります。ニュースを見ても、階段から突き落とされたり、集金袋を盗まれたり、バケツの水をかけられたり、いじめといっても今は命懸けの戦いです。暗闇のサタンの支配を許してしまう土壌があるのです。

 エレミヤ書に「ひょうがその斑点を、変えることができようか」(1323節)という一節があります。これは、罪は自分で解決できようかという意味です。答えは、「できない」です。人は生まれながらの罪人です。罪の奴隷です。自分一人さえ変えることができません。しかし喜びましょう。それ故、神はイエスさまを世に送ってくださったからです。

 イエスさまは、永遠の滅びに至る私たちを救うために、世に来られました。十字架の死とその復活によってすべての罪をあがない、罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださいました。この救いこそ命そのものです。主イエスを信じ、あなたの心にお迎えください。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年5月3日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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