信仰
聖書のへブル人への手紙に次のような一節があります。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」(11章6節)。
信仰に立つには何が必要でしょうか。このことばによればそれは、まず、状況の中に神がおられることを認めるということです。神を抜きにした信仰などありえません。そして次には、神は私に報いてくださると信じることです。きっと神はなしてくださるという信仰は、地に落ちることなく必ずその通りになります。失望に終わることはありません。
聖書には、イエスさまに信仰を建て上げて頂いた、ある父親の話が掲載されています(マルコの福音書9章14~27節参照)。
このお父さんには、おしの霊に憑かれた息子がいました。イエスさまは、この子がこんなになってからどれくらいになりますか、と聞いてくださいました。「幼い頃からです。この霊は彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました」とお父さんは答えます。そして次いで、思わず本心が口をついて出てきます。「ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助け下さい」。
するとそれを聞いたイエスさまは、間髪を入れずに言われます。「できるものなら、言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」。
これを聞くとお父さんは叫んで言いました。「信じます。不信仰な私をお助け下さい」。こうしてついに神が働かれる信仰に立ちました。長年の間、いろんなことを試しては効果がなかったのでしょう。お父さんは、無理だという現実を間のあたりにして、いつしか信仰を見失い、あきらめていたのです。しかし、イエスさまのお叱りを受けてお父さんは再び信仰を取り戻しました。イエスさまが働かれる土台となる信仰ができたのです。期待するということは信仰の現れであり、信仰が働く土台となります。こうしてイエスさまは、その信仰に報いてくださり、悪霊に憑かれていた少年から霊を𠮟って追い出してくださいました。
直面する状況の中でまず主を認め、そしてイエスさまに期待するなら、私たちは誰一人例外なく信仰を通して働く神のみわざに与ることができます。そして神さまもまた、こうして私たちが信仰を用いることを、喜んでくださいます。
患難、困難の時ほど、神さまのご栄光の現れが強く現されるものは他にありません。それ故信仰を用いて神さまに近づきましょう。神に不可能はありません。問われているのは信仰です。信じる者はどんなことでもできるのです。それ故あなたもまた、神を信じ、信仰による奇跡のみわざに期待しましょう。
「MIKOE NEWSから転載」 2021年5月10日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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