2018年10月17日水曜日

罪を赦す権威

 イエスさまがカペナウムに来られた時、1人の中風の人が4人の人にかつがれてイエスのもとへ連れてこられました。家は多くの人で立すいの余地がなく、屋根をはがしてその人をイエスの前につり下ろしました。
 彼らの信仰を見て、イエスさまは、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われました。すると、それを見ていた律法学者たちは「神をけがしている。神おひとりのほか、誰が罪を赦すことができよう」と心の中で理屈を言いました。それを見抜いたイエスさまは、「罪が赦された」というのと「起きて、寝床をたたんで歩け」というのとどちらがやさしいか。人の子(イエスさまのこと)が地上で罪を赦す権威を持っていることをあなたがたに知らせるために、こう言って「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と中風の人に言ったところ、彼は直ちに起き上がり、床をたたんで出て行きました。かつて見たことのない出来事に皆、神をあがめました(マルコの福音書2章参照)。
 病のいやしも大変難しいものですが、病のいやしと罪の赦しとでは、言うまでもなく、罪の赦しの方がはるかに難しいのです。
 当時も医者がいて、病によってはいやされることは可能でした。しかし、罪を赦すことは、生まれながらの罪人である人間には決してできないことです。それ故、人を愛された父なる神は、ご自身のひとり子であるイエスさまを送ってくださいました。イエスさまは、私たちを贖(あがな)うために世に来てくださったのです。
 イエスさまの、その贖いのみ苦しみは、激しいものでした。罪人とともに数えられ、十字架にかけられ死なれました。その打ち傷によって私たちはいやされ、そのみ苦しみは私たちが生きるための代価となりました。神は私たちを愛しておられるます。(イスラエル北野)

み声新聞2018年10月21日号(第1012号)より転載—

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