2018年10月10日水曜日

居場所

 思春期というのは、自分の居場所を探し求める旅のような年月(としつき)です。孤独を知ったたましいは、居場所を求めてやむことがありません。恋人を求めたり信仰に入ったりさまざまですが、求めていたのは間違いなく自分の居場所でした。
 私の居場所、それは、仕事であったり恋愛であったりします。早々と自分の道を見つけ歩む友人たちがうらやましくてなりませんでした。
 しかし、イエスさまは、ヨハネの福音書14章でこう語られました。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです」(1、2節)
 神さまは、あなたに居場所が必要だということを、あなた以上にご存じです。そして、居場所を与えるために、イエスさまはみ父の元を離れ、世に来られたのです。
 ルカの福音書19章に、ザアカイという取税人が登場します。彼は取税人のかしらで金持ちでした。背も低く嫌われ者で、お金しか信用できない人生を送っていました。彼にとっての居場所はお金でした。しかしお金は彼を救うことができませんでした。
 そんな中で、評判のイエスさまが町に来られたのです。しかもイエスさまは彼の客になられました。よほどうれしかったのでしょう。ザアカイは宣言します。「主よ。私の財産の半分を貧しい人たちに施し、だまし取った物は4倍にして返します」。イエスさまは、「きょう、救いがこの家に来ました」と喜んでくださいました。
 ザアカイは、イエスさまこそ救い主だと知りました。皆さんにおいても同様です。居場所は主イエスの内にあるのです。(イスラエル北野)

み声新聞2018年10月14日号(第1011号)より転載—

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