2025年1月9日木曜日

 ありがとう

 私の父はB型肝炎で55歳の若さで天に帰りました。長女として父に寄り添い、その最晩年を家族と共に過ごせたこと、また闘病における折々の神さまのご配慮を頂いて喜びをもって父を天に送ることは、今思い返しても本当に神さまに感謝でした。

 父の闘病生活の中には多くの祝福がありましたが、一番大きな祝福は父が受洗にあずかったことです。はっきりとした意識をもって信仰を示し、イエス・キリストのしもべとなりました。その病は残念ながら死に至る病で、どんなに祈っても病気は進行する一方でした。いやされることを本人も家族も必死に願いました。けれども、こればかりは神さまの領域で、私たちにはあずかり知れないものなのです。

 ヨハネの福音書11章4節から「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」ということばを頂き、栄光はうれしいが、「死で終わる」という一節が気になりました。やはり父は死ななければならないのでしょうか、と何度も主にお尋ねしました。

 ところがある日、父は密かに私に言いました。その日病院で自死があり、父のベッドの横を風圧とともに人の影が過ぎていったと。ここは生きるか死ぬかの戦いの場所。しかし、お父さんは最後まで自分のよわいを全うする。そればかりか、ここから天に帰ってもいいとさえ思っているんだ、と。

 このあたりから父は変わっていきました。笑顔を絶やさないようになりました。いつも喜びをたたえていてにこにこしています。転移の激痛は、いっそ殺してくれというほどの痛みですが、それにも一人でじっと耐えていました。こんなあんばいですから医師や看護師さんにも愛され、ちょっとしたことにも「ありがとう」というのが父の口癖になっていきました。

 私も入院の経験があります。入院するのはそれなりに病んでいるのですから、自分にできない所は人に世話にならざるを得ません。そうした時は、口にこそ出しませんが「申し訳ない。ありがとう。」という思いで、いっぱいになるのです。ありがとう、ありがとう。と心の中で何度お礼を言ったでしょう。

 4月19日。桜が満開になった頃、父の召天が近づきました。召される20分ほど前、父は渾身(こんしん)の力を振り絞って、私たちが差し出した色紙に何事かを記しました。乱れた文字で私たちには読めませんでした。ところが、何年か後に父の病友が、「きっと、ご主人は有難うと書いているはずだ。だからもう一度見てほしい」と連絡が来て、私たちはもう一度、色紙を見ました。するとその通り大きな字で「有難う」と書かれていました。約束通り主は、この病を死で終わるだけのものではなく、神の栄光の現れとしてくださいました。

 父の生涯の最後の言葉は「ありがとう」でした。幸せな人生であったと思います。神に感謝します。

 MIKOE NEWSから転載」 2025年1月9日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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