2021年12月19日日曜日

サウルの失敗

 サウルは、イスラエルの初代の王様です。サムエルを通して主がイスラエルを治めていた時、民は周りの国々と同様、王を欲しがりました。そこで、サウルが起こされました。サウルは多くの方がまさに王だと納得するような外貌を備えた麗しい人物でした。しかし彼は、人を恐れるという弱さを持っていたのです。

 ぺリシテ人との戦いに入った時、サウルは、戦勝祈願に来るはずのサムエルを、彼の言葉通り7日間待ちました。しかしサムエルは来ず、民が離れ去ってゆくことを恐れたサウロは自分の手で全焼のいけにえを捧げてしまいました。そこへサムエルがやってきて、「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。今は、あなたの王国は立たない」と宣言しました。

 時は移り、神はアマレクを打ち、すべてのものを聖絶するようサウルに命じます。イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにした仕打ちを罰するというのがその理由です。サウルは、歩兵20万、ユダの兵士1万をもって戦い、アマレクを打ちました。しかし、サウルはアマレク人の王アガグを生けどりにし、また肥えた羊や牛の最も良いものを惜しみ、ただつまらない、値打のないものだけを聖絶しました。

 翌朝早く、サムエルにサウルが自分のための戦勝記念碑を立てたということが知らされました。サムエルがサウルに会いに行くと、サウルは「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました」と言いました。しかし、サムエルは「では、私の耳にはいる羊や牛の声は何ですか」と言います。「主はあなたに使命を授け、『行って、罪人アマレク人を聖絶せよ。絶滅させるまで戦え』と語られたのに、なぜ主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行ったのですか」とサムエルは言いました。サウルは、民に責任転嫁して、民は主にいけにえをささげるために最上のものとして分捕り物の中から羊と牛を取ったのですと弁明しました。主にささげるためなら、聖絶せずに残しておいてもよいだろう、というすりかえが起こっていました。サウルは聖絶せよという神のことばに従いませんでした。

 これに対してサムエルは「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」と言います。

 神が私たちに望んでいることは多くありません。むしろ一つで、それは主の御声に聞き従うということです。サウルは、自分は主に従っているつもりでいました。どうしてこんなずれができたのでしょうか。思うに信仰には2つの型があります。文字通り御声に聞き従うという在り方と、主はこうお考えだろうと類推する在り方です。多くのものが、神を知らないので後者の生き方をしています。

 両者の違いは、神と自分どちらが中心となっているかによります。私たちが、神さまのために良かれと思ったことを行うことと、神さまに聞いて、神さまが語られたことを行うこととは、似ているようですが根本から違います。聞き従いは神が中心です。私たちが受ける祝福もまた聞き従いとともにあります。サウルの失敗から学びましょう。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年12月19日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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