2021年10月18日月曜日

ご臨在 

 神さまご自身がまさにここにおられる、そのように感じられるもの、それが「ご臨在」です。

 198312月に私は、東京都杉並区のМキリスト教会を訪ねました。小学校の時に日曜学校に通っていたので、教会の温もりや教会の聖さ、そして教会の喜びが思い出され、懐かしさとともにその日何か期待するものがありました。

 何かが違う、その何かがその日私にはたらきました。礼拝の後に、教会の牧師が祈ってくださいました。すると、昔歌った「いつくしみ深き」という讃美歌が胸によみがえってきました。そして「などかは下ろさぬ、負える重荷を」という歌詞を思い出し、それが心に深く触れました。イエスさまが、おまえはどうして重荷を下ろそうとしないのか、と懇ろに語ってくださるかのようで、身も心もたちまち主の元に立ち返りました。私は、救われたのです。目には見えませんが見える以上に神がそこにおられることを、感じ取っていました。理屈ではなく神がそこにおられる、これが「ご臨在」で「ご臨在」のある所に神のわざがあり、救いがあります。

 また「臨在」は力です。かつて父が、危篤の床にあった時、母が「もう一度チャンスをください」と祈ったら、大勢の御使いたちが病室に来たというようなざわめきが起こり、病室の空気が一変しました。さぞかし厳しい戦いがあるだろうと覚悟して病室に向かいましたが、ドアを開けてみると既に「ご臨在」があるので驚きました。主が来てくださっていたのです。人にはできないことでも神に不可能はありません。主は「ご臨在」の内におられ、奇跡が起こりました。父は危篤を脱しました。

 慕わしいもの、それは「ご臨在」です。ロサンゼルスにあるオン・ザ・ウエイ教会にプレイヤーチャペルがあります。ここは、四隅に天使が立ち、チャペルが「ご臨在」に満ち満ちて、霧のように一面に覆われた所として有名です。私たちは、幾度となくこのチャペルを訪れ、祈りつつ時には眠りつつ、一日中そこにいて祈り込みました。「ご臨在」の中には豊かさがあり恵みに満ち、 1歳を迎えたばかりの私の娘は、初めて1人で立ち上がって歩きました。忘れ得ぬワンシーンです。

 「ご臨在」を、ひと言でいうと、「その場から立ち去りがたい」というものです。ずっとここに居たい、心ゆくまで主と交わりたい、そういう願いが尽きず御神が慕わしいのです。詩篇の作者はこう歌いました。「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」(1611節)その通り、ご臨在の中に主は生きておられ、また満ちておられるのです。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年10月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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