2021年9月21日火曜日

貧しいお金持ち

 お金の問題というのは、一筋縄では行きません。イエスさまも宣教途中、群衆の1人から、遺産を分けるように私の兄弟に言ってほしいとお願いされました。これを聞いてイエスさまは、「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、そのいのちは財産にあるのではないからです」と語られました。そして、1つの例話を話して下さいました。(以下ルカの福音書12章参照)

 ある金持ちの畑が豊作でした。それで金持ちは新しく作物を蓄えておく場所が無いと心中案じ、考えた末、倉を取り壊して、もっと大きいのを建て、作物や財産は皆そこにしまっておこう、と決めます。そして彼は自分のたましいに言います。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ安心して、食べて、飲んで、楽しめ」

 しかし、神は彼にこう言います。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです、と聖書は書いています。蓄えた人がそれを使うことなく死んでしまったら、その富はどこへ行くのでしょう。恐らく、貯めた苦労を知らない別の人があなたの財産を湯水のように使ってしまうでしょう。これもまた虚しいことだと思います。

 金は天下のまわりものとか、宵越しの金は持たない、という気前の良い文化も日本にはあります。しかし、その一方で私が出会ったお金持ちは、皆一様に吝嗇家(ケチ)でした。お金が減ることを極端にまで嫌い恐れています。食べる物を減らし、欲しいものを買わず、その分貯金が増えることを喜ぶ、そんな人生を送っています。本人はそれに満足しているので他人が口出す話ではないのですが、神さまから豊かさという祝福を頂いているのになぜそれを使わず、持たないと同然の貧しい生活をするのか、と勿体なく思います。

 箴言30章に、こんな祈りがありました。「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。(中略)貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」(79節)

 私たちが生きていくには、お金が必要です。それを否定するものではありません。しかし、人の命は財産にあるのではないのです。自分のために蓄えても神の前に富まないなら、その富は羽をつけて飛んで行ってしまいます。それ故、日々あなたを養ってくださる主に期待して、主が与えてくださるものを楽しみ、また喜びましょう。これこそが真の豊かさではないでしょうか。 

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年9月21日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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