2021年7月12日月曜日

信仰は奇跡を生みます。

 大学卒業後、私は神学生になりました。キリスト教界にはジョージ・ミュラーという信仰者がいます。孤児院の働きをしておられましたが、公私ともに生活に必要なすべてを、ただ神にのみ申し上げ、全能者の御手によって養われ、神の栄光を現した器です。常々このような神さまの働きに与りたいと思っていましたので、これを機に、すべてを神に頼る生活を私なりにスタートさせました。

 まず、私は無職なので糧を得る必要がありました。この時自分で職を探すのではなく、祈り一本で行こうと思いました。結果は、神さまは私にも、神がジョージ・ミュラーに応えてくださったのと同様なご栄光を現してくださったのです。ミュラー同様に信仰に立つなら、ミュラー同様に奇跡を見たのです。そして知ったことは、ジョージ・ミュラーが特別な器だというのではなく、彼が信じたように信じるなら誰でも同じようなことが起こるということです。

 神学生になっていたので、私はまずすべての科目を取りました。教会奉仕もあり、結局自由に使えるまとまった時間は月曜日の昼過ぎから夜にかけてしかありませんでした。神さまに祈るのはコツがありまして、へりくだって正直に弱さを打ち明けるのが良いです。私には稼ぐ力がございません。虫が良すぎるかもしれませんが、体力不要で高賃金のアルバイトをください。そう祈ると、教員免許を持っていることを思い出しました。脳裏には「予備校」という思いが来ます。

 するとどうでしょう。1週間ほどたった頃、思わぬところから家庭教師をしないかという話が回って来たのです。奇跡の手が遂に動きました。私の前に既に2名の人がいて、私は3番目でした。話を聞いてみると家庭教師ではなく予備校の講師でした。面接に当たる方はクリスチャンで、私の証を聞くとまだお会いしたこともないのに、即採用を約束してくれました。時給も可能な限り優遇してくれました。これは奇跡でした。神の手が動いたとしか言いようがありません。生活は完全に支えられました。

 マタイの福音書77節には「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」と書かれています。

 求める、捜す、たたく、これらは徹底して行いなさいうという意味です。そして互いに関連性があると思います。まずは広く求め、次いで絞られてきたらポイントを捜し、ここぞというところでは叩くのです。すると主の最善が開かれていきます。

 信仰と奇跡は密接な関わりがあります。信仰は奇跡を生みます。期待を持って主に近づくなら、神は必ずその手を動かしてくださいます。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年7月12日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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