2021年4月6日火曜日

光と闇

 教会で私たちは、「イエスは勝利を取られた」と歌い、また説教でもそのことを聞きます。イエスさまの勝利とは一体どういうものであるのでしょうか。聖書によれば、勝利は光と闇に例えられています。ヨハネの福音書には「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(15節)と書かれています。

 光と闇は、対立したものです。互いに相容れるところがありません。たとえどんな暗闇の中にあっても、光が来るなら、たちどころに闇は消え去ります。これが両者の習性で、光は闇を消すほどの強力な力があるのです。

 ヨハネのこのみことば自体もまた強力な力でした。30年ほど前になりますが、父が病に倒れ死線をさまよっていた時、私は真夜中に呼び出しを受けました。死神がいるので祈ってくれというのです。なるほど、その通りです。病室は闇が重く支配しており、父が信仰していた偶像の悪しきものが、あわよくばいのちを取ろうとうごめいていました。

 確かに父は、熱心な偶像礼拝者でした。しかしその時は既にイエスさまを救い主と信じ、回心していました。偶像とは関わりを断っています。そこで、私は前述のヨハネの福音書のことばを、父の横に立って繰り返し宣言し、また朗読したのです。すると、不思議なことが起こりました。霊の名を言い、「光はやみの中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」と宣言し立ち去るように命じると、11つ霊が消えて行くのです。そして遂に1つも居なくなりました。

 圧倒的な勝利でした。光が来た時、闇はたちどころに消えたのです。キリスト・イエスの勝利とはこのようなものなのです。戦ってかろうじて勝つようなものではなく、既に勝っていることを確認するなら、直ちにその通りになります。この、闇に対する光の圧倒的な勝利こそ、私たちに与えられている恵みであり特権なのです。

 話は変わりますが、私は暗所・閉所が苦手です。何が苦手かって、それは方向の感覚がつかめないところです。右も左も上も下も闇の中では分からなくなります。一歩先は障害物があるかもしれません。そう思うと足を踏み出せず、立ちどころさえ見失ってしまいます。

 しかし、光が来るなら一変します。闇で見えなかったものが見えるのです。もはやつまずくことも、ぶつかることもありません。問題があってもよけることができます。こういう訳で、光を、イエス・キリストを、あなたのうちにお迎えしましょう。光が照らされてはじめて、すべてのものは白日にさらされます。すべてが見えるようになり、私たちの人生は一変します。光は闇の中に輝いています。これこそ、神が下さった圧倒的な勝利です。 

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年4月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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