神の『ものさし』
人はそれぞれ持っている物が異なっており、その才能も能力も1人1人異なります。神さまは主権をもって1人1人に測ってタラント(能力)を与えてくださいました。マタイの福音書25章では、タラントについて次のように書かれています。
彼(神)は、おのおのその能力に応じて、ひとりには5タラント、ひとりには2タラント、もうひとりには1タラントを渡し、旅に出かけた。5タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに5タラントもうけた。同様に、2タラント預かった者も、さらに2タラントもうけた。ところが、1タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した(15~18節)。
私たち互いの間では、与えられた能力の多い少ないという違いは確かにあります。しかし、聖書はもうけたものの多い少ないを問うている訳ではないのです。主人はこう言っています。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(21、23節)。
忠実さ、これが神の尺度、神の唯一の「ものさし」なのです。これに照らし合わせて私たちは評価を受けるのです。
1タラントを預かったしもべは、それを地の中に隠してこう言いました。「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの1タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です」(24、25節)。
この言葉は主人の逆鱗に触れました。主人はこう言います。「悪いなまけ者のしもべだ。(中略)おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息が付いて返してもらえたのだ。(略)だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを10タラント持っている者にやりなさい」。
人それぞれ、能力によって結ぶ実は異なります。そして人は結んだ実の多い少ないを「ものさし」として、私たちを測ります。それが世なのです。しかし、神はそうではありません。神が私たちを測る「ものさし」は、あくまでも忠実さなのです。結果でも実の大小でもありません。
ルカの福音書にはこのように書かれています。「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きいことにも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう」(16章10、11節)。後の世においても忠実さは、神の尺度、神の「ものさし」であるようです。私たちは、与えられているものに忠実でありましょう。
「MIKOE NEWSから転載」 2020年9月3日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
0 件のコメント:
コメントを投稿