2020年2月19日水曜日



 かつて祈りの場を求めて、長野県清里にある清泉寮を訪ねたことがあります。敷地を散策する中で1枚の板に書かれた聖書のことばを見つけました。ヨハネの手紙第一1章5節から、「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」と書かれていました。聖書では神は光であり、誰も近づくことのできない光の中に住まわれていることが書かれています。
 聖書の冒頭である創世記1章では、初めに、神が天と地を創造した(1節)と書かれています。地は茫漠として何もなく、やみが大水の上にあり、神の霊が動いていました(2節)。そこに神が「光があれ」と仰せられると光がありました(3節)。神は光を見て良しとされ、光とやみを区別されました(4節)。これが創世記に書かれている光の出自です。創造の昔、神さまはみこころをもって光を創造されました。
 光の最も顕著な特徴は、やみと交わることがないところにあります。ヨハネの福音書1章5節には「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」という一文があります。このことばの意味するところは神の圧倒的な勝利です。やみに対する光の勝利を語っています。いくらやみが深く広く覆っていても、そこに光が入ればどうなるでしょうか。たちまちにしてやみは消失してしまいます。どんなにやみが深くても、光の前にはその武装はたちどころに解除されてしまいます。光にはこれほどの力があるのです。
 こういう訳で、今や光は、やみの中に輝いています。もはや私たちはやみを恐れる必要はありません。イエス・キリストを心にお迎えすることは、やみであった心に神の愛のともしびを置くことです。また問題に光を当てるなら、そこに解決があります。イエス・キリストを信じて救いを受け、神の元に帰りましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年2月23日号(第1082号)より転載—

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