2020年2月12日水曜日

 

 詩篇27篇でダビデは次のような言葉を残しています。「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために」(4節)というもので、同感です。
 主は麗しくまた慕わしくて、知れば知るほどいつまでも主のみそばにいたいと思います。これはただ一つの願いであって、これが答えられるなら、あとはもう何もいらないと私も思います。それほど主と主の家は素晴らしいのです。
 クリスチャン用語の一つに「臨在」という語があります。ここに神がおられるという特別な臨みかけの中に置かれることを言います。振り返れば、人生の中で、大切な事が起こる際には必ず強いご臨在が現されていました。臨在の中で私たちは神と交わることができるのです。
 米国ロサンゼルスにオンザウエイ教会という教会があります。教会の開拓当初、私たちはそこのプレイヤーチャペルによく祈り込みに行きました。そこは特別な所で、ある日、四隅に天使が降り立ち、一面に霧のようなものが立ちこめるということが起きました。それを境に人々が救われ始め、教会は成長していきました。霧のようなものはご臨在であったと言われています。
 ただそこにいるだけで、恵みが注がれていました。広く受容されていること、深く愛されていること、そして何よりもたましいのやすらぎがありました。目には見えませんが見えること以上に父なる神さまは近づいてくださいました。
 神のご臨在、これに勝る喜びはこの世にはありません。神さまは最高の祝福を与えてくださいました。詩篇1611節にもこう書かれています。「あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります」
(イスラエル北野)


み声新聞2019年2月16日号(第1081号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿