2020年2月5日水曜日

悔い改め

 韓国のチョー・ヨンギ牧師は祈祷院に、自分専用の祈りの穴を持っているといいます。日曜の礼拝に備えて祈り込まれるそうですが、そこにはひときわ大きく「悔い改め・悔い改め・悔い改め」という文字が書かれているそうです。これにはちょっと驚きました。悔い改めることは、神との関係において非常に重要なことであるとチョー牧師はご存じなのです。
 イザヤ書59章にこんな一文があります。「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(1、2節)
 私たちは、誰一人例外なく罪びとです。それに引き換え神は創造主であり、聖なるお方です。両者には隔たりがあり、聖俗決して交わることはできません。それ故、神は御子イエスを遣わしてくださり、イエスの十字架の贖(あがな)いによってご自身と世を和解させてくださいました。これが私たちを救う福音のことばです。
 イエス・キリストを信じる者は、神の子とされ、今や全てのものが与えられています。とはいえ、私たちは肉なるものであり、日々犯す罪があります。罪咎が神との間の仕切りとなるのは前述の通りです。チョー牧師が、祈りの穴で、悔い改めの文字を見つつ求めたものはこの戦いであったのです。
 悔い改めは、私たちと神との関係を正しくします。ヨハネの手紙第一1章9節には「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」と書かれています。どのような罪も言い表し、捨てるなら、神は全てを赦し、望外の祝福さえも与えてくださるのです。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年2月9日号(第1080号)より転載—

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