2019年3月5日火曜日


父の愛

 ルカの福音書15章に、放蕩息子のたとえと呼ばれる箇所があります。登場人物は、神さまを指す父、優等生の兄、そして出来の悪い弟の3名です。
 ある時、弟は財産分与を父に願い出ます。父はそれを聞いてやりました。すると、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ちました。
 その地で彼は、放蕩の限りを尽くし、湯水のように財産を使ってしまいました。そこへ大飢饉(ききん)が起こり、食べるにも困るようになりました。そこで、ある人のもとに身を寄せたところ、彼を畑にやって豚の世話をさせました。ユダヤ人にとって豚の世話は忌み嫌われている仕事です。しかも、彼がどんなに空腹であっても、誰も彼に食べ物をくれず、豚が食べている豆で腹を満たしたいほどでした。
 悩みを受けて、彼は父とその国とのことを思い起こします。彼は決意しました、帰ろうと。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください」。こう語るつもりでした。ところが、まだ家から遠かったのに、父は彼を見つけました。かわいそうに思って走り寄り、彼を抱き、口づけしました。
 父はこう言います。「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい」。父は、彼を再び子として迎えてくださったのです。兄は、放蕩ざんまいで身を持ち崩した弟に祝宴を設ける父に不服でしたが、父は、「おまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ」「楽しんで喜ぶのは当然ではないか」と言いました(1132節参照)。
 神さまは、たぎる愛をもって、あなたが帰ってくるのを待っておられます。み父の元に帰りましょう。神はあなたを、愛する子として迎えてくださいます。(イスラエル北野)

み声新聞2019年3月10日号(第1032号)より転載—

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