2018年11月7日水曜日

親と子

 私の娘は、私という人間を実によく知っています。私は、ひとたび食卓を整え席に着いたら、あとはもう食べ終わるまで立ち上がりたくないという人間です。ところが急に娘がある一品を作ってほしいと私にリクエストするのです。面倒だな、諦めてくれないかなと思いました。でも、そこからは娘が得意とする分野で、あの手この手で甘くねだる娘の声にほだされ、ついに立ち上がりました。
 私は、めったなことではしようとしていることを曲げない性格です。しかし、こと娘のお願いとなると、拒まないで何とかしてあげようとしている自分がいて、自分でも不思議です。
 ルカの福音書18章には、私と娘との関係に似た、粘るやもめと根負けした裁判官の例話が記されています。
 ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいました。その町にはひとりのやもめがいて熱心に自分のために裁判してくれと頼みます。その裁判官は、しばらくは取り合わないでいたのですが、後には心ひそかに「私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない」と言いました(18節参照)。
 押しの一手、というのでしょうか、娘が「お願い」と頼んでくる時、彼女はきっとお母さんは聞いてくれると信じ切っています。これには負けます。やはり、娘はかわいいのです。
 主イエスにあって、神さまと私たちの関係は親子です。娘が私にしたように、皆さんも神さまに甘えてみませんか。あなたもまた、神の愛する子です。そのみこころにかなうなら、神さまはその願いを聞き届けてくださいます。
(イスラエル北野)

み声新聞2018年11月11日号(第1015号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿