2017年12月1日金曜日

 

 「千里の馬は常に有れども伯楽(はくらく)は常に有らず」ということわざをご存じでしょうか。韓愈(かんゆ)が記した「雑説」の中に出てくるエピソードから出た故事成語で、いつの時代にも有能な人はいるものだけれど、その才能を見抜き発揮させてくれる人と出会えることはめったにない、というのがその意味です。
 千里の馬とは、千里を走る名馬のことです。この馬は、一見すると大食いでのろまで、とてもその風格はありません。普通の馬と何ら変わらずむしろ劣っているようにさえ思える馬です。これを見分けて、千里を走る馬だと発掘する名人が「伯楽」です。千里の名馬は穀1石を食べ尽くしてしまいます。それで、普通の馬の食べた量ではおなかがすいて力が出ないのでなおさら駄馬に見え、名馬たるきざしを見いだすことはまれです。ここから優れた資質を持った人を見抜く力ある人物を「伯楽」というようになりました。
 イエスさまは、いわば、私たちの人生の伯楽です。私たちは、「家を建てる者たちの見捨てた石」(マタイの福音書2142節ほか)であり、見どころがないと判断された駄馬でした。しかし、この駄馬を神は選ばれ、千里の馬として立て上げてくださいました。
 神を知ることは、自分を知ることにつながります。あなたがあなたを見る見方と神があなたを見ているあなたは異なります。あなたは駄馬ではありません、神があなたを用いてくださる限り駄馬であるはずはないのです。こういうわけで、わたしたちは神のみこころを知ることを熱心に求めましょう。
 神は目的を持ってあなたを造られました。働きは既に用意されています。そして、それを知るようイエスさまは助けてくださいます。イエスさまを信じ、従いましょう。その時、あなたは最善、最高の人生を歩むことでしょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年12月3日号(第965号)より転載—

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