2015年5月2日土曜日

美しい老い方
 先日、免許の更新に行きました。そこで免許証に使う写真を撮った後、出来上がった写真を見てがくぜんとしました。身に覚えのないふくよかなおばちゃんが笑みを浮かべて写っていました。これって、本当に私?なのでしょうか。にわかには信じられませんでした。
 しかし、私も50の大台を越えた身です。数字の上では40歳で初老ですから、おばちゃん顔をしていても無理なからぬ年齢です。そして、美しく年を取るということは今や若い時以上に切実な課題となっています。どんな美人も寄る年波には勝てません。容色の美しさは一時的なものです。主はどう見ておられるのでしょうか。
 ペテロの手紙第一3章には、こう書いてあります。「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです」(3、4節)柔和で穏やかな霊こそ、美しく時を重ねる秘訣であるのです。目には見えない隠れた人柄、これを育てていくことが美しい老い方なのでしょう。
 箴言にも31章に、聖書の語る良き女性像が書かれています。この女性は非の打ちどころない女性です。しかし、そこで語られていることの結論は「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」(30節)というものです。見掛けではなく、本当の美しさは内側に宿るのです。若い時には外観に引かれるものですが、神を恐れることを知ったことから始まる柔和で穏やかの霊こそ何にも勝る美しさだと私は思います。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年5月3日号(第830号)より転載—

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