2013年1月16日水曜日


自分とは何でしょう

 よく、若い人たちの間で「自分探し」ということばが語られます。自分という
ものは何者か、という問いは根源的なものであり誰もが向かい合いま す。
 私には、ふたつ下の妹がいます。事あるたびに姉である私と同じことを行おう
としました。合唱部にいた時も追っかけ入部して来ましたし、お筝を始 めると
妹もまた習い始めました。しかし背格好も向き不向きも姉妹であっても異なりま
す。私にとって良いものでも、彼女にとって、益になるとは限り ません。
 また、かつて牧師が、私たち一人一人を物に例えて話してくださいました。そ
れぞれが、時計であったり、バスケットボールであったりします。時計 が自分
はバスケットボールだと思って飛び跳ねるとどうなるでしょう。ひどい壊れ方を
してしまいます。
 よく、自分のことは自分が一番わかっている、という言葉を聞きますが本当に
そうでしょうか。私たちが何者であり、どういう目的で造られたかを 解き明か
してくださるのは神です。神を知ることによって初めて、自分が何かということ
が見えてくるのです。
 エレミヤ書33章には、次のような神のことばが記されています。「地を造られ
た主、形作って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられ る。『わた
しを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超
えた大いなる事を、あなたに告げよう』」(23節)とい うものです。
 私たちは神さまに知られています。神はあなたのために造られたご自身のご計
画を知らせようとなさいます。
 福音を信じ、イエスさまを受け入れましょう。その時から、皆さんに対する神
さまのご計画が語られはじめま す。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年1月20日号(第711号)より転載—

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