2025年9月10日水曜日

熱いか冷たいか どちらかであれ

 ヨハネの黙示録3章に、ラオデキヤの教会に向けて書かれた神のことばがあります。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」(15節)

 その通りです。神さまは、生ぬるいのより、熱いか冷たいかはっきりした姿勢を望まれます。

 代表的な人物と言えば、パウロでしょう。彼は、主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司の所に行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼み、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るまで、信者を捕え引きずり出す権限を得て、熱心にその働きを行っていました。まさに行っていることは神に敵対することでした。(使徒912節参照)

 ところが、神はパウロをあわれまれたのです。ダマスコの近くまで来た時、突然天からの光が彼を巡り照らしました。彼は、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」というイエスの声を聞きました。2614節によれば「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」という声さえ聞いています。

 主に出会って、サウロ(パウロ)は一変します。「彼は、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」「彼が私の名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」と主は語られました。(91516節)

 コリント人への手紙第二11章には、パウロが受けた困難の数々が記されています。39のむちを受けたこと、石打ちに遭ったこと、一昼夜、海上を漂ったことなど、並大抵ではない労苦を重ねています。パウロの人生は、イエス・キリストにあって180度変えられたのです。主に反する者から、主の器へと、神は彼を変えてくださいました。あれほど、主に敵対したものが、主の器に、主の使徒へと変えられたのです。たとえご自身に敵対していても、決して生ぬるくはない、ある真実を、主はパウロという人間に見ていてくださったのでしょう。

 チェコのS宣教師は、ある時「この群れから脱会します」という連絡を私たちに送ってこられました。私たちの教会を悪く言う者たちが、S宣教師に入れ知恵をしたようで、私たちは心配しました。特に「脱会」という言葉が重く響き、私たちは祈るとともに、帰って来られるよう求め始めました。そして、A牧師は、「サリーさんは必ず帰って来る」とおっしゃったのです。

 そして、およそ7年でしょうか。S宣教師は悔い改めて戻って来られ、再び群れの宣教師として立つことを許され、その働きを始められました。

 素晴らしいことに、S宣教師が復帰してからの働きは、脱会に至る前までの働きをはるかに上回っているように感じます。神は、これまで以上にS宣教師を用いておられるのです。ウェブコンサートという新しい働きが始まり、東ヨーロッパの働きが幾段にも進みました。さらに、主はS宣教師ご夫妻を用いようとされているように思えます。

 たとえ、主の前につまずくことがあっても、立ち返り主に戻るなら、その問題をはるかに超えた大きな働きを任せてくださいます。主は必ずあなたを用いてくださるのです。神さまとは、そういうお方なのです。

 そういうわけで、私たちは、熱いか冷たいかどちらかでありなさい、という神の声に聞きましょう。そして当然、熱い者でありましょう。パリサイ人で迫害者であったパウロは、主に出会い、キリストのためにいのちをささげ、殉教していきました。熱い人生を歩んでいたパウロだからこそ、神は真理の道へ導かれたのでしょうか。その人生は大きく変わりました。人生はすべて、神が私たちを捕えてくださるものなのです。

 MIKOE NEWSから転載」 2025年9月10日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/


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