2025年2月5日水曜日

 後の雨リバイバル

 毎年2月5日になると、長崎の西坂で日本二十六聖人記念集会を行います。西坂は日本で最初の殉教の地で、今なお彼らの信仰をしのんで多くの人が集まります。そこには殉教者のレリーフがありますが、その中央に聖書の一節が刻まれているのをご存じでしょうか。「人若し我に従はんと欲せば己を捨て十字架をとりて我に従うべし」【だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。】(マルコの福音書8章34節)という一節です。日本二十六聖人の人生はこの一文を体現した人生でした。老人から子どもまで、外国人から日本人まで、さまざまな人がこの殉教に導かれました。日本にこのような信仰があったことを私は誇りに思います。

 日本二十六聖人もまた、生きることを自分のものとするのではなく、地上での生涯を神にささげ、世においては寄留者として生きることを聖書通りに実践しました。彼らは殉教しましたが、その生き方は私たちに「天」を示しました。「極楽」や「あの世」「地獄」しか知らなかった私たちに「天の御国」を知らせたのです。これは決して小さなことではありません。「死」を恐れることも無く、賛美の満ちる中、喜んで天に帰っていった26名。こんな人生は、日本人はそれまで見たことがありませんでした。ですから何が彼らをそうさせたのか、それを知ろうと多くの人が福音に耳を傾け始めました。そして日本の霊の壁は徐々に砕かれ、大きなリバイバルが起こってきたのです。

 彼らの信仰からは、神に対する絶対的な信頼が伝わってきます。たとえ、死ぬようなことがあっても恐れず、神の御声に聞き従い、神の最善を信じ、神に信頼し期待しているのです。そして事実、主イエスは十字架上で死なれましたが、約束通りに3日目に復活され、「死」は「いのち」にのまれてしまいました。今や誰であっても、イエスを主(救い主)と信じ口で告白するなら、罪の赦しと永遠のいのちが与えられます。

 使徒4章12節に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」と書かれています。その通り、「宗教」は星の数ほどあっても、「救い」はイエス・キリスト以外にはないのです。

 殉教者をはじめ、主を信じる者は、人生における勝利者です。信仰の人生は一見、何かを失ったかのように見えますが、決して何も失ってはいません。いのちさえもそうです。日本二十六聖人は、確かに世のいのちを失いました。しかし、神が下さる永遠のいのちを受けました。底が見えないほどの悲しみがあっても、そこに神は深い慰めを下さいます。神は私たちを愛しておられ、私たちに細やかな配慮をしてくださっているのです。

 何もないようでもすべてを持っており、また、神は苦難に耐え抜く力を与えてくださいます。時には奇跡を見、神による逆転勝利が起こります。そして主イエスの苦しみが、私たちに平安をもたらしたように、今度は私たちを通して、神は多くの人々に救いを届けようとしておられます。

 この聖なる招きに応答しましょう。いよいよ後の雨リバイバルが始まってきています。

MIKOE NEWSから転載」 2025年2月5日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿