2025年2月12日水曜日

 道子に出会えてよかった

 一昨年、私の恩師が亡くなりました。私が中学1年の頃の担任教諭で、学校が開校されたばかりの頃です。教師という生き方を深く模索している情熱型の先生でした。悪いことをすると、顔がキッと真顔になり、持っている国語の教科書で頭をたたかれました。ある時、学校にあめを持ち込んで、みんなで食べていたところ、「主犯がいるはずだ、立て!」と呼ばれて、立った私の頭の上にも国語の教科書はズシンと落ちてきました。今思えば、これは愛のむちだったと思います。

 教育ということを真剣に考えておられた先生で、年を取った先生の持つ教育論に感動しつつ、クラスをまとめるということや、思春期の生徒への対応など、お忙しい毎日であったことと思います。ありのまま、というスタンスで、結構皮肉をおっしゃいます。私もよく厳しいお言葉を頂きました。でも叱られているのにもかかわらず、なぜか嫌いになれないのです。本心は温かい方であると感じていたのか、先生の言い分が正しいと認めていたのか、今となれば、悪いところを指摘していただくということが、どんなにありがたいことであったかと、感謝する毎日です。

 当時、この先生は新婚ほやほやでした。広島から来た若い奥さまに甘えるように「お茶!」と催促した表情など、思い起こせば宝石を大事にするように奥さまを大切にしておられるようでした。好き、愛している、ほれた、三つそろってよく使われる言葉でしょうが、先生の場合「ほれた」という語が一番的確であったでしょう。

 残念ながら、お子さまには恵まれませんでした。しかし、教え子が山ほどいます。みな先生が大好きで、先生もまた教え子を大切にしてくださいました。私も先生とその奥さまと楽しいおしゃべりの時間を過ごしたことで、自然と結婚の祝福というものに目が向き始めました。

 聖書のエペソ人の手紙5章には、結婚に関してこのように書かれています。「人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる(第二版では“一心同体となる”)」(31節)これが「結婚」です。さらに勧めとして、「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい」(22節)、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(25節)、「自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです」(28節)と、こう語られています。

 興味深いことに、男には「妻を愛せよ」と言いながら、女には「夫に従え」と別のことを言っています。これは、愛というものはより難しいものであるゆえ、男に求められるものであって、女には(夫に)従うことが(夫への)愛となる、そう学びました。夫婦円満の秘訣(ひけつ)は、妻は夫に従うこと、夫は自分の妻を愛すること、そして、ふたりは一心同体となる、これに尽きるように思います。

 結婚を大切にしましょう。先生は、がんでした。しかし最後に残した言葉は「道子(奥さんの名前)に出会えてよかった」というものでした。世界中探しても、その道子さんはたった1人しかいません。道子さんという人が存在してくれたことが自分にとってまずうれしい。もうじき自分の人生は終わるが、顧みて「人生で一番うれしかったことは道子がいたこと、道子に出会えたことだ」。そう語っているのです。最高の言葉ではないでしょうか。死がふたりを分かつまで、その言葉通りお二人は愛を育んでこられたのです。

 結婚は、神によってなされる契約の儀式です。2人を引き合わせ一つにするのは神です。結婚は神のものです。あなたがいてくれるだけで私は十分幸せだ。そんな愛し合える人を、神は必ずあなたにも引き寄せてくださいます。それには時がありますし、導きがあります。待たされることも多いです。しかし最後には、お前に出会えてよかった、と言ってもらえるような人と人生を共にしたいと思います。

MIKOE NEWSから転載」 2025年2月12日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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