2024年12月11日水曜日

 たった1人のクリスマス

 最近、主婦として疲れを覚えるのです。何かといえば、スーパーマーケットでの買い物です。今の季節では、クリスマスソングが大音量で流されており、キラキラしたツリーが飾られ、チキンの広告やケーキの申込書がそこかしこに置かれています。

 そうかと思えば、気の早い店はもう、お正月のお餅がタワーのように積み上げられており、お正月の歌が流れています。マーケットにはほとんど毎日行くので、もう耳にタコができるほど曲を聴かされました。こういったイベントが一年365日続くのです。バレンタインデー・ホワイトデー、卒・入学式、母の日・父の日、お彼岸、敬老の日、恵方巻、おせち料理など、ありとあらゆるイベントが考え尽くされ、少しでもユーザーの財布のひもを解かせるよう、鳴り物入りで宣伝しています。これを聴く度に、そろそろ私も疲れてきたかな、と思うのです。

 さて、クリスマスというのは、昔は教会が行うものでした。それが、友人間で持たれ家族で持たれ、何と当地では町内会でさえクリスマス会を行います。プレゼントの交換、キャンドルサービス、そしてクリスマスソング、とすべてが目新しかった教会のクリスマスはどこへ行ったのでしょうか。最近のクリスマスは、パーティーなのです。1年で1番大きな、そして特別なパーティーであるのです。それゆえ、この日をプロポーズの日にする人も大勢います。実際のところは、これは太陽の復活を祝う冬至の祭りなのです。

 一般的にクリスマスは「イエスさまのお誕生日」として祝われています(本当の誕生日は別な日です)。ルカの福音書2章ではこう書かれています。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(11節)。野宿する羊飼いたちに御使いがこのように告げると、たちまち、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言いました。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(13、14節)。静かで清らかなご臨在のうちに救い主の誕生を祝う、これがクリスマスではなかったでしょうか。

 ところが、今のクリスマスはサンタクロースこそ頻繁に出てきますが、教会にでも行かない限り「イエスさま」は出てきません。宗教色を無くしたほうが人は集まりやすいからかもしれません。でも、私にとっては、イエスさまの無いクリスマスは、餡(あん)の入っていないあんぱんのようです。1番大切なものが失われているように思います。クリスマスの主役は他でもないイエスさまなのです。

 何年か前、友人がうれしい便りをくれました。そこには、「今年のクリスマスは、久しぶりに、聖書を読もうかなと思っています」と書かれていました。そこで思ったのですが、聖書を開くだけの自分1人のクリスマスというのもまた良いものではないでしょうか。聖書のことばはいのちのことばであるので、必ずあなたに触れることばがあります。そしてそれこそ神があなたに下さろうとしている贈り物です。

 心を主に向け、主の声に耳を傾け、祈りの部屋で静まりましょう。がやがやしていると主の声がかき消されてしまいます。たった1人のクリスマス。聖書だけのクリスマス。ごちそうも食べないのに、深く満ち足ります。

MIKOE NEWSから転載」 2024年12月11日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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