2024年9月11日水曜日

新しい出発

 詳しいことは忘れました。多分漁師のおじちゃんだったと思います。リストの「ラ・カンパネラ」が好きで、これを弾きたいという一心で、動画を見ながら手の置き方からタッチの仕方まで少しずつ入念にコピーして、何とかものにしました。それを、ピアニストのフジコ・ヘミングさんに見てもらう機会があり、ついには、フジコ・ヘミングさんのコンサートの中で前座として登場、見事「ラ・カンパネラ」を披露しました。

 感想を聞かれたところ、うれしいけれどこれでもう夢をすべて達成したので、何だかさみしい思いもあります、とはにかんだ様子で答えていました。正直な人だなと思いました。夢は私たちを育てます。目標を持つことは素晴らしいことです。でも、達成してしまうと、もう追いかける幻もなくなり、それはその人にとって一抹のさみしさを引き起こします。

 近頃、私も老いをどう生きるか、ということを考えるようになりました。老人は若い頃とは違い持ち時間が読めません。それゆえ、新たなことをしてみようという気にはなりにくいです。皆は老後をどういう風に生きているのでしょう。私の乳母とそのご主人は仏間にちゃぶ台を置いてお茶を飲みつつ、「こうしてな、私ら、お迎えを待っとるんよ」と言いました。何かをしようという思いは既に無いようで、ただ命を終える備えを日々淡々となされているばかりでした。体力気力も衰え、老人はもうお呼びじゃないと、自ら引き際を悟って過ごしているようにお見受けしました。

 いわゆる隠居生活で、日本人には多い生き方です。でもこれは、とても残念なことです。感謝の人、マーリン・キャロザース師は、70歳を超えてから新しく絵を学び始められました。とてもきれいな絵を書いておられ、ご自分の本の表紙にも使われています。いくつになっても新しいことに挑戦するスピリットには脱帽します。同じ年をとるなら、私は常に主をたたえ新しいことに挑戦するマーリンさんのような老年を迎えたいと思います。

 コリント人への手紙第二5章17節に、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と書かれています。

 イエス・キリストにある人生は、最後の最後まで生きて生き続ける人生です。なぜならイエスさまはいのちであられるからです。イエスさまを、心にお迎えするなら、人は永遠のいのちを受けます。このいのちこそ、イエスさまなのです。いくつであろうが、どんな状況であろうが、今、主イエスを信じるなら、あなたは「新しく造られた者」です。世にあっても世のものではない「神の子」として、神によって呼び出された者なのです。

 イエス・キリストを信じましょう。それは、すべてが新しくされるということです。イエスのうちにあるなら、人生のどこにあっても常に「新しい出発」があります。信じることに、遅きに失するなんてことはないのです。いくつになっても、人生に主を認めるなら、そこから始まる神と共にある人生があるのです。

 いつでもどこでも、イエスさまを認めましょう。キリストのうちにあるならすべては新しい。これが神の教えです。

MIKOE NEWSから転載」 2024年9月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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