サタン
サタンの一番の惑わしは、多くの人に、サタンなどいないと思わせていることです。創世記から黙示録に至るまで、聖書にも何度も登場しているにもかかわらず、サタンは悪の象徴だと言い、人格を持った霊的存在であることを否定する人は多いです。またサタンは、絶妙のタイミングで思索に働くので、サタンに入れられた思いを、それと気づけず自分の考えだと思っていることも珍しくありません。
実にサタンは絶妙なタイミングで私たちに近づき、偽りを語り誘惑し、私たちに罪を犯させようと働きます。イエスさまに対してもそうでした。公生涯の初めに、40日40夜断食をされた後に、サタンは空腹を覚えられたイエスさまに忍び寄り、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」と誘惑しました。イエスさまは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによると書いてある」と聖書のことばをもって返され、サタンの誘惑に乗ることはありませんでした。他にも「身を投げてみなさい」や、「わたしを拝むなら、世の栄華を差し上げましょう」とサタンは欲にも訴え、イエスさまを誘惑しました。しかし、イエスさまは「引き下がれ、サタン。」と命じ、罪に譲歩されることはありませんでした。
創世記の昔からサタンは働いていました。エデンの園でエバを惑わし、罪を犯させました。エバは夫アダムから「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(2章17節)という神の仰せを聞いていました。しかし、狡猾な蛇(サタン)は、「どんな木からも食べてはならない、と神はほんとうに言われたのですか」(3章1節)と語ったのです。神はどんな木からもではなく、善悪の知識の木から、と語られていましたが都合よくここを隠し、さらに「ほんとうに」言われたのですか、の一言を加え、エバを揺るがせました。この言葉に惑わされてエバは、禁断の実がことさらおいしそうに見え始め、それを取り、夫にも与え食べたのです。こうして神のことばに背き、その罪の結果、人はエデンの園から追放されるようになりました。
サタンは罪に働きます。私たちの罪はサタンの餌であり、サタンは巧みに思いや言葉に偽りを入れてきます。それを信じてはなりません。とはいえ、敵(サタン)は狡猾ですから、私たち人間は自分の力でサタンに打ち勝つことは難しいです。ただ神に聞き従うことだけが、サタンに打ち勝つ唯一の道です。神のことばには力があり、神のことばはサタンを打ち負かすのです。光が闇を打ち消すように、神は圧倒的な勝利でサタンを滅ぼされます。サタンは、被造物であって、神は創造主なのです。戦う前から勝敗は決まっています。いくらサタンだとはいえ、神の許しがなければ何も行うことはできないのです。このことは、ヨブ記をお読みくださると良く分かると思います。
そして、愛です。神は私たち人をこの上なく愛してくださっています。けれども、サタンはそれだけは人に知らせたくないのです。それゆえ、神の愛に疑いを入れてくるなどは序の口で、私たちの原罪に潜む神への反抗心をあおり立て、人が神の愛を知り、神に立ち返り救われることがないよう日々努めているのです。
しかし、神は私たちをあわれみ、世に救い主である御子イエスさまを送ってくださいました。イエスさまを信じることによって私たちは救われます。そして、神の愛を知るのです。耳にささやくサタンの言葉を聞いてはなりません。そこから出るのは偽りと欺きです。むしろ神を知ることを求めましょう。神は、求める者にはご自身を現してくださいます。そして、信じた私たちは神のことばを直接聞くことができるのです。
神のことばこそ真実であり、また真のいのちです。今、サタンは暗躍していますが、やがて終わりの日に、神によって火と硫黄との池に投げ込まれます(黙示録20章10節)。自分の時が短いことを知ったサタンは激しく怒り、地に下りました。食い尽くすものを探し徘徊(はいかい)しています。サタンは現実です。そして、神も現実です。それゆえ、あなたも神を信じ、救いに入ろうではありませんか。
MIKOE NEWSから転載」 2024年9月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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