2024年9月25日水曜日

 世が向かおうとしているところ

 昨年後半、お米の不足ということで、米が高騰しました。売り場に行っても売っていません。それでも、新米が出たら元に戻るだろうと思っていました。ところが、意に反して米の高騰は続いているのです。以前に比べ、ほぼ倍に近い値上げです。食べるために米は買わなければなりません。となると高くても売れるのです。だから、値を下げようとせず、高く売って利をむさぼろうとしている思惑があるのではないかと考えたりします。お米だけではありません。卵も、鳥インフルエンザで殺処分したので鳥が少なくなり、手に入りにくくなったということで、値上がりしました。特売で1ケース98円だった卵は、今は240円ほどします。特売でも変わりません。他にも燃料費も上がり、いよいよ生活しづらくなってきました。

 問題があるのならそれも仕方がありません。けれども、これは捏造(ねつぞう)された生活の厳しさではないかと私は感じています。本当は豊かに神が祝福しておられるのに、不作と偽り、不正の利を得ている者がいるのではないかと感じているのは私だけでしょうか。隠れた所で世を動かしている人物が実は既にいるのではないでしょうか。いわゆる反キリストと呼ばれる者とその一派が、既に世を動かし始めているのではないかと思います。

 世の終わりが近づいているのです。21世紀になって、世界(地球)は一つというふうに意識されてきています。そして、社会のシステム自体が大きく変わろうとしています。資本主義社会から移行して、これからの社会は一握りの支配者層と、圧倒的多数の奴隷(被支配者)という構図になってゆくのではないかと言われています。そもそも彼らは、世界の人口が多すぎると考えています。ですから、多くの人が死ぬようなことを起こします。戦争もその一つでしょう。次世代における富と権力の集中、これを考え動いている連中は既にいると私は思っています。

 終わりの時代に起こってくることを、イエスさまはルカの福音書21章でこのようにおっしゃいました。自然界においては「…日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです」(25、26節)と書かれています。

 また、マタイの福音書では、「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりがきたのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです」(24章6~8節)と書かれています。

 これらのことばから、まさに今、この聖書のことばが成就しようとしていることを知ることができます。既に戦争は起こっていますし、また未曽有の自然災害や飢饉(ききん)が起きています。そして、これらはさらに激しくなるでしょう。これらが過ぎ去り、新天新地が訪れるまで、私たちは、その産みの苦しみの初めの中に入っているのです。先ほどのルカの福音書にもこう書いてあります。「そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません」(31~33節)

 私たちの希望は神のことばにあります。滅びることのないのは神のことばです。再臨の主をお迎えする用意をしましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年9月25日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年9月18日水曜日

サタン

 サタンの一番の惑わしは、多くの人に、サタンなどいないと思わせていることです。創世記から黙示録に至るまで、聖書にも何度も登場しているにもかかわらず、サタンは悪の象徴だと言い、人格を持った霊的存在であることを否定する人は多いです。またサタンは、絶妙のタイミングで思索に働くので、サタンに入れられた思いを、それと気づけず自分の考えだと思っていることも珍しくありません。

 実にサタンは絶妙なタイミングで私たちに近づき、偽りを語り誘惑し、私たちに罪を犯させようと働きます。イエスさまに対してもそうでした。公生涯の初めに、40日40夜断食をされた後に、サタンは空腹を覚えられたイエスさまに忍び寄り、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」と誘惑しました。イエスさまは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによると書いてある」と聖書のことばをもって返され、サタンの誘惑に乗ることはありませんでした。他にも「身を投げてみなさい」や、「わたしを拝むなら、世の栄華を差し上げましょう」とサタンは欲にも訴え、イエスさまを誘惑しました。しかし、イエスさまは「引き下がれ、サタン。」と命じ、罪に譲歩されることはありませんでした。

 創世記の昔からサタンは働いていました。エデンの園でエバを惑わし、罪を犯させました。エバは夫アダムから「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(2章17節)という神の仰せを聞いていました。しかし、狡猾な蛇(サタン)は、「どんな木からも食べてはならない、と神はほんとうに言われたのですか」(3章1節)と語ったのです。神はどんな木からもではなく、善悪の知識の木から、と語られていましたが都合よくここを隠し、さらに「ほんとうに」言われたのですか、の一言を加え、エバを揺るがせました。この言葉に惑わされてエバは、禁断の実がことさらおいしそうに見え始め、それを取り、夫にも与え食べたのです。こうして神のことばに背き、その罪の結果、人はエデンの園から追放されるようになりました。

 サタンは罪に働きます。私たちの罪はサタンの餌であり、サタンは巧みに思いや言葉に偽りを入れてきます。それを信じてはなりません。とはいえ、敵(サタン)は狡猾ですから、私たち人間は自分の力でサタンに打ち勝つことは難しいです。ただ神に聞き従うことだけが、サタンに打ち勝つ唯一の道です。神のことばには力があり、神のことばはサタンを打ち負かすのです。光が闇を打ち消すように、神は圧倒的な勝利でサタンを滅ぼされます。サタンは、被造物であって、神は創造主なのです。戦う前から勝敗は決まっています。いくらサタンだとはいえ、神の許しがなければ何も行うことはできないのです。このことは、ヨブ記をお読みくださると良く分かると思います。

 そして、愛です。神は私たち人をこの上なく愛してくださっています。けれども、サタンはそれだけは人に知らせたくないのです。それゆえ、神の愛に疑いを入れてくるなどは序の口で、私たちの原罪に潜む神への反抗心をあおり立て、人が神の愛を知り、神に立ち返り救われることがないよう日々努めているのです。

 しかし、神は私たちをあわれみ、世に救い主である御子イエスさまを送ってくださいました。イエスさまを信じることによって私たちは救われます。そして、神の愛を知るのです。耳にささやくサタンの言葉を聞いてはなりません。そこから出るのは偽りと欺きです。むしろ神を知ることを求めましょう。神は、求める者にはご自身を現してくださいます。そして、信じた私たちは神のことばを直接聞くことができるのです。

 神のことばこそ真実であり、また真のいのちです。今、サタンは暗躍していますが、やがて終わりの日に、神によって火と硫黄との池に投げ込まれます(黙示録20章10節)。自分の時が短いことを知ったサタンは激しく怒り、地に下りました。食い尽くすものを探し徘徊(はいかい)しています。サタンは現実です。そして、神も現実です。それゆえ、あなたも神を信じ、救いに入ろうではありませんか。

MIKOE NEWSから転載」 2024年9月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年9月11日水曜日

新しい出発

 詳しいことは忘れました。多分漁師のおじちゃんだったと思います。リストの「ラ・カンパネラ」が好きで、これを弾きたいという一心で、動画を見ながら手の置き方からタッチの仕方まで少しずつ入念にコピーして、何とかものにしました。それを、ピアニストのフジコ・ヘミングさんに見てもらう機会があり、ついには、フジコ・ヘミングさんのコンサートの中で前座として登場、見事「ラ・カンパネラ」を披露しました。

 感想を聞かれたところ、うれしいけれどこれでもう夢をすべて達成したので、何だかさみしい思いもあります、とはにかんだ様子で答えていました。正直な人だなと思いました。夢は私たちを育てます。目標を持つことは素晴らしいことです。でも、達成してしまうと、もう追いかける幻もなくなり、それはその人にとって一抹のさみしさを引き起こします。

 近頃、私も老いをどう生きるか、ということを考えるようになりました。老人は若い頃とは違い持ち時間が読めません。それゆえ、新たなことをしてみようという気にはなりにくいです。皆は老後をどういう風に生きているのでしょう。私の乳母とそのご主人は仏間にちゃぶ台を置いてお茶を飲みつつ、「こうしてな、私ら、お迎えを待っとるんよ」と言いました。何かをしようという思いは既に無いようで、ただ命を終える備えを日々淡々となされているばかりでした。体力気力も衰え、老人はもうお呼びじゃないと、自ら引き際を悟って過ごしているようにお見受けしました。

 いわゆる隠居生活で、日本人には多い生き方です。でもこれは、とても残念なことです。感謝の人、マーリン・キャロザース師は、70歳を超えてから新しく絵を学び始められました。とてもきれいな絵を書いておられ、ご自分の本の表紙にも使われています。いくつになっても新しいことに挑戦するスピリットには脱帽します。同じ年をとるなら、私は常に主をたたえ新しいことに挑戦するマーリンさんのような老年を迎えたいと思います。

 コリント人への手紙第二5章17節に、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と書かれています。

 イエス・キリストにある人生は、最後の最後まで生きて生き続ける人生です。なぜならイエスさまはいのちであられるからです。イエスさまを、心にお迎えするなら、人は永遠のいのちを受けます。このいのちこそ、イエスさまなのです。いくつであろうが、どんな状況であろうが、今、主イエスを信じるなら、あなたは「新しく造られた者」です。世にあっても世のものではない「神の子」として、神によって呼び出された者なのです。

 イエス・キリストを信じましょう。それは、すべてが新しくされるということです。イエスのうちにあるなら、人生のどこにあっても常に「新しい出発」があります。信じることに、遅きに失するなんてことはないのです。いくつになっても、人生に主を認めるなら、そこから始まる神と共にある人生があるのです。

 いつでもどこでも、イエスさまを認めましょう。キリストのうちにあるならすべては新しい。これが神の教えです。

MIKOE NEWSから転載」 2024年9月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年9月4日水曜日

覚醒の時

 かれこれ30年近く前の事になります。3番目の子どもを死産したということをきっかけに、私はうつ病を発症しました。そして、そこから精神の病との長い付き合いが始まりました。

 精神に作用する薬は、太りやすいといいます。私も例外ではなく、最も太っていた時は、体重が80キロを越えていました。服薬を守り、安静にするという医者の指示に従い、それらを守ってきましたが、体重増加や眠気が出たりして動きが鈍く、生けるしかばねのような状態でした。

 散々ダイエットを試みても成功しませんでした。一切食事を取らないという手段に出て、一時体重が50数キロになりました。しかし、激しいリバウンドが来て、さらに体重は増加。一向に瘦せる気配はなく、もう諦めていました。

 そんな中、ある日不思議な体験をしたのです。募る憂いを祈りつつ、どうか虹を見せてくださいと求めました。すると、すぐに雨がパラパラ降って来て、あれよという間に目の前に虹が出現したのです。驚いて「これがあなたから来たものであるなら、もう一度虹を見せてください」、と祈りました。すると、別な方向から虹が現れました。「もう一度試させてください」、と祈ると今度はアーチの虹がかかりました。そして、4度目の虹が出ると、その時、ご臨在のうちに「あなたが目覚める時が来ました」という主のことばを受けたのです。すると再び、消えた虹がよみがえり、5番目の虹となりました。その日、1、2時間の内で合計5度の虹を私は見ました。

 この体験の後から、不思議なことにどんどん私の体重が減っていきました。かつての自分を取り戻すかのように私は変わっていきました。何をやっても痩せなかった私が、何の苦も無くマイナス20キロ以上も減量したのです。また、私はこの30年間を、精神の病で棒に振ってしまったのではないかという悔いを抱いていました。けれども、今はもう苦しむ必要はないこと、それらすべてが過ぎ去ったことを知ったのです。

 まだ患難のただ中にいる時、主は私にエレミヤ書31章4節の一文を約束してくださいました。「おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう」。というものです。「あなたは建て直される」、という神の主権に満ちたことばは、強く心に響き、必ず神がそうしてくださると信じることができました。

 私にはできなくても、神はどんなことでもおできになります。そのことを今、私は自分の身をもって体験しています。訓練の時は終わりました。いよいよ新しいことが、約束の成就が私たちに用意されています。私たちに覚醒の時がやって来たのです。召しに立つこと前進すること、これらのことをしっかりと務めてまいりましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年9月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/