2023年8月15日火曜日

ことば~成り立ち編

  残念なことですが、犬や猫には言葉がありません。犬や猫だけでなく、さえずる鳥も、教えた言葉を語るという九官鳥であってもそこには会話はなく、あらゆる動物や生き物は私たちが持っているような言葉を持ちません。しかし、それぞれコミュニケーションの手段は持っているので、人との間においても、同じ生きものの間でも、心は互いに通い合います。わんわんにゃんにゃんで十分分かり合えるのです。

 むしろ、ここで分かるのは、人間が特別な存在であるということです。被造物で、言葉を持っているのは人間だけです。というのも、動物と人間は成り立ちが違うのです。創世記によれば、生き物はみな神のことばによってそれぞれその種類に従って造られました。それをよしとされた神は次いでこう言います。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」(創世記126節)。こうして「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」(27節)のです。神のかたちとはどんなかたちでしょう。とても興味があります。そして、おそらく、人は神のかたちとして創造されたゆえに、言葉を持つものとなったのではないかと私は考えています。

 言葉がいかに力あるものか、それを逆説的に表しているのが創世記11章にあるバベルの塔事件です。その時まで全地は一つの民で、一つの話し言葉でした。彼らはれんがを造り繁栄していました。そのうちに町を建て、「さあ、われわれは頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」と塔を築き出したのです。主はそれを見に来られ、「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」と語り、人々を散らされました(19節)。こういう訳で、今の私たちが使う言葉や民族はさまざまに分かれており、もともとの言葉から比べると、言葉も不完全なものになりました。

 一方、コリント人への手紙第二1224節で、パウロは、恐らくご自分のことでしょう、ある時パラダイスにまで引き上げられました。そしてそこで、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたといいます。天上においてはそのようなことばもまたあるのです。

 また、後に私たちをさばくのもことばによります。イエスさまはマタイの福音書12章でこう語りました。「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです

 いかに言葉というものが重要なものであるか、これらの箇所から分かるでしょう。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。私たちは罪人(つみびと)ですから、言葉で失敗することは多々あります。しかし、その一方で言葉を通して神の祝福を流すことができるのです。まさに、生かすも殺すも言葉次第です。言葉は、諸刃の剣です。

 イエス・キリストは、完全な神であられかつ完全な人です。そして「いのちのことば」と呼ばれています。イエスさまにあって、信じる者の内には聖霊さまが内住され、このお方がいのちに至ることばをくださるのです。私たちもまた主イエスを信じ、救いに至るこのいのちのことばを受け、また語りましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2023年8月15日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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