2022年4月14日木曜日

妬みについて 

  妬みは、誰もが持っている感情です。私たちは自分が欲しくて仕方が無いものを、他人が持っていると、しばしばそれを妬んで奪おうとしてしまいます。聖書で妬みが最初に取り上げられているのはかなり古くて創世記にまでさかのぼります。

 創世記4章に、カインとアベルの兄弟が登場します。兄カインは土を耕す者で、弟アベルは羊を飼う者でした。それぞれ、主に捧げものをする時になると、カインは地の産物を、アベルは羊の初子をそれも最良のものを自分自身で持ってきました。主はアベルの捧げものに目を留められましたが、カインの捧げものには目を留められませんでした。それでカインはひどく怒って顔を伏せました。神は罪を治めなさいといいましたがカインは聞かず、アベルを野に呼び出し、襲いかかって殺してしまいました。妬みが行き着くところは殺人です。カインはアベルが正しいことを知っており、その正しさを妬んだゆえの行動でした。

 イエス・キリストの12弟子の筆頭であるペテロもまた、妬みということにおいては、御しきれない体験をしているように思います。イエスさまが十字架にかけられることを告げた時、ペテロはごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております、と申し上げました。しかしイエスさまは、今日鶏が鳴くまでに、あなたは3度、わたしを知らないと言いますとおっしゃいました。そしてその通り、ペテロは主を裏切り、3度イエスを否みました。

 この心の痛みを癒すためでしょうか。後にイエスさまはペテロに現われ、3度あなたは私を愛しますかと問うてくださいました。主を否んだペテロは、「私があなたを愛することは、あなたがご存知です」と答えるのが精いっぱいでした。イエスさまは、ペテロが、将来殉教の死を遂げ神の栄光を現すことを語り、再びペテロに「わたしに従いなさい」と弟子の招きをしてくださいました。彼の心は低くされ喜びに震えていたと私は思います。

 ところがです。これほどのことを体験したにもかかわらず、妬みが働きました。ペテロが振り向くと、そこにイエスが愛された弟子・ヨハネが後について来ていました。それに気づくとペテロは、今さっきイエスさまが示してくださったあれほどのご愛を忘れたかのようになって、「主よ。この人はどうですか」とイエスさまに問いかけました。ヨハネは主に特別に愛されているから、自分以上に素晴らしい祝福を受けたのではなかろうかと、それが知りたくて、気が気でなかったのです。しかし、イエスさまはそれには答えず、「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい」とだけおっしゃいました。

 ペテロがヨハネに抱いた思い、これもまた妬みです。ペテロはイエスに十分に愛されているのに、なぜこんなにヨハネが気になるのでしょうか。

 人は、他者との比較の中で自分を図ります。そして相手には有っても自分に無いものを認める時に、妬みの感情を起こします。サタンもまたそこに働き、事態を重くしています。

 カインの妬みは亡霊のように現代においても働いています。いつの世でも悪者は正しい者をその正しさのゆえに憎みます。そこには強い妬みがあり、この妬みは人を殺すのです。イエスさまを十字架にかけて殺してしまったのも妬みでした。そのことは残念ですが、だからこそイエスさまは、私たちがこの妬みという苦々しい罪から離れることができるよう助けることがおできになるのです。イエスさまの救いを受けましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2022年4月14日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

0 件のコメント:

コメントを投稿