2021年3月13日土曜日

 信仰と安息

 イスラエルが約束の相続地カナンに着いた時、モーセは諸部族から12人の族長を遣わし、その地を探らせました。そこは肥沃な土地で「乳と蜜が流れています」と彼らに言わしめる程、素晴らしい所でした。けれども、その地に住む民は力強く、町々は城壁を持ち、たくさんの先住民がいました。

 斥候のひとりカレブは、「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」と言い、信仰によって民を奮い立たせようとしました。ところが、ヨシュアとカレブを除く10名の族長たちは、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから」と悪く言いふらしました。それを聞いて全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かしたと言います。

 ただ、ヨシュアとカレブは着物を引き裂いて、会衆に言います。「地は素晴らしく良い地であった。もし、私たちが主の御心にかなえば、それを下さるだろう。主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない」と信仰に立つよう勧めます。

 にもかかわらず、民は不信仰でした。2人を石打ちにしようとしたのです。その時、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現われました。

 主は、この荒野で私につぶやいた者で20歳以上の者はみな倒れて死ぬ。ヨシュアとカレブ以外は誰もこの地に入ることができない、と宣告されました。カナンの地を探ったのが40日であったので、1日を1年と数え、40年間民は背信の罪を負わなければならない、荒野でひとり残らず死ななければならない、そう語られました。

 不信仰は恐ろしい罪です。万を超える全イスラエルの中で、たった2人ヨシュアとカレブしか信仰に立つ人はいなかったのです。神の目にかなう信仰を持っていたのは僅かこの2人だけでした。

 信仰は、働くと大きな力となります。同様に不信仰もまた、持ち続けると呪いを受けます。信仰は行いとともにはたらくもので、神に聞き従うことがその土台です。

 これらのことが起こったのは、私たちへの戒めであると聖書には書かれています。(コリント人への手紙第一10章参照)また、へブル人への手紙319節には「彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります」と書かれています。こういう訳で私たちは神の下さる安息に入れるよう不信仰を悔い改め、救いの達成につとめましょう。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年3月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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