2021年3月4日木曜日

人生の意味

  人生って何だろう。思春期にはこういった疑問を真正面から追求します。私もまたその1人で、18歳の時にイエス・キリストに出会い、救い主として信じ新しく生まれました。

 人生の追求ということにおいては、ピリピ人への手紙312節から、「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです」ということばを頂いて、以来主とともに救いの達成につとめています。

 人生って何でしょうか。学生時代の教授は、『人生に意味などない』という本を出版しました。しかし、私は人生に意味がないとは思えません。私たちの一生は息をして食べることの繰り返しで終わるものではなく、どの人生も意味があり、私たちは誰一人例外なく果たすべき使命があると思っています。

 大学を卒業する時、進路をどうするべきか迷いました。就職か進学かという二択に悩みました。でもこれに関しては、はっきりとした神さまからのことばがありました。

 ヨハネの福音書627節の「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」ということばがそれです。永遠のいのちに至る食物ということばから、福音宣教の働きに就くことが神のみこころだと知りました。

 マタイの福音書44節には「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書かれています。人生は、パンすなわち食物を満たすことで終始するものでなく、神の口から出る一つ一つのことばによって成るのです。

 私たちの人生は、食べてなくなる食物のためにあるのではなく、神のみこころを行うことにあるのです。皆さんには例外なく使命があります。神が備えてくださった人生があるのです。私たちの一生は、食べて寝るだけのものではありません。意味があります。それゆえあなたもまた、朽ちるものではなく永遠のいのちに至る食物のために働き、そして生きて参りましょう。

 「MIKOE NEWSから転載」 2021年3月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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